冬の一角獣

真城六月ブログ

ドングリを並べる

 

 

この世で自分が出来ることは道端にドングリを並べて置くことである。

 

ダイイングメッセージでは無いけれど、山猫でも無いけれど。

 

わたしたちは何かを遺すつもりもなく、何かを遺すものだから。

 

風に飛ばされ、雨で腐り、誰かに片付けられ、あるいは蹴飛ばされてしまうかもしれない自分のドングリを一生かかって並べている。

 

もしかしたら誰かのポケットにしまわれるかもしれないと賭ける気持ちでドングリを並べる。

 

わたしたちがドングリを並べていることは誰も知らなくても、誰にも意味が分からなくても、名前や肩書きや人柄は時の中で塵になると思いながらドングリを並べる。

 

わたしたちがドングリを並べるとき、一番大切なことは、並べているわたしたち自身がそのドングリを気に入っているかどうかということ。わたしたちは自分が並べるドングリを心底気に入っているかどうか自分に尋ねながらドングリを並べましょう。

 

わたしはわたしの並べているドングリを気に入っています。見ているあなたはどうかな。

 

あなたはあなたの並べているドングリを気に入っていますか。ほんとうに。

 

わたしは是非あなたの並べたドングリを発見したいです。名前が書かれていなくても、あなたが並べたドングリだとわたしは気づくと思います。

 

この世は狭く、広いので、わたしもあなたもまだお気に入りのドングリを並べる余地があります。それは手紙で、わたしたちが去った後も残ります。


誰かわたしたちの並べたドングリを見て笑うかもしれないし、涙ぐむかもしれない。ドングリを見つけた誰かは、そこにかつていた仲間を見つけるのです。そこに見い出す仲間の痕は見い出した人を生き延びさせるかもしれません。

 

こんなことを思いながらわたしはわたしのドングリを並べています。