冬の一角獣

真城六月ブログ

アンダンテ

 

 

平日の昼間の地方都市の商業ビル上階のゲームコーナーの光や音のそばを通ることが好きだ。人がいないゲームコーナーはびかびかに輝いて痛烈に淋しい。おどけたアナウンスが誰もいない空間に語りかける。

 

「ガンバッテー」

 

ああ、何を頑張れと言うの?コインを入れて巧みに操作され、誰かが笑ってくれるのを待っているの?あなたこそ一人、誰も見ていない時だってそんなにも頑張っているんじゃないの。きらきらしてそんなにもぎらぎらなのに一人で。たぶん土曜日には、早ければこの夕方には、誰か来るよ。でもその時にはさ、もう誰かを待っているあなたのうつくしさは失われてるのね。頭が大変なわたしは、こんな風にゲームコーナーのそばを通る。突き抜ければ唐突にマッサージ店。眼鏡店。世界の痛み。失われるものたちよ。通る為だけに歩いている身体をエレベーターに乗っける。

 

 

 

 

下降する。窓から街が見える。質屋が焼き鳥屋になって、靴屋になって、写真屋になって、シャッターが閉まって。何年も閉まって。あのシャッターの中には何があるだろう。夢みるシャッターの内部は懐かしいお客の緊張を愛想笑いを興奮を思い出したりするのかしら。シャッターに描かれたクマの絵は笑っている。無理すんなよ。

 

 

 

 

いつ眠るんだろう樹々の緑の中で叫ぶ鳥。そうじゃない。ここじゃない。違う違うと歌う群れ。鳥の言葉で「ママ」があるなら、そうも聴こえる。皆ママがいない。皆ママが欲しい。あの中の何羽が自ら「ママ」になることを選ぶだろう。産むことでなく、産まれることでなく。「ママ!」最初ちっちゃな卵だったくせにさ。

 

 

 

 


エレベーターは辿り着く。だって下降し続ける度胸は無い。ケーキ屋の香りがする。生きている人らに必要なものでわんさと溢れている。ケーキは、ごめんねでありがとうで愛してるでおめでとうでお疲れさまで、つまりそういうものが必要なもの。別れのバリエーションも豊富に揃う。文具屋にきれいな紙やペンもある。遠くへ旅する為の、ただどっかへ行く為の、あるいはどっかへ帰る為のスーツケースはかばん屋にある。翼は外を走っている。駅には大きな翼があるし、空港には更に大きな翼がある。

 

 

 

 


信じられないあたたかさの街路だから、いきなり華美な振袖が飾られたショーウィンドウに出くわすし、ご飯のおかわり自由な定食屋から痩せたお婆さんが出て来る。気を確かに。見上げれば高いビルの美容整形外科看板の後ろに真昼でも白い月が出ている。

 

 

 

 

 


あなたがわたしを思うとき、わたしは訳なく立ち止まる。振り返ればすべてを包んだ午後があかるくなってゆく。