冬の一角獣

真城六月ブログ

手紙いろいろ

先に申し上げておきますが、今回は長くなります。どうしても長くなりそうですからどうぞ御目のご健康な時にお好きなお飲み物をご用意の上、ゆっくりとお付き合いくださいますようお願い致します。では、遊びましょう。

 

手紙が好きです。手紙に限っては書くよりも断然読む方が好きです。作家や詩人、芸術家や音楽家の書簡集や手紙の紹介されている本を読むのも昔から好きでした。考えてみれば、他人の手紙を送られた本人以外が読むだなんて下品な覗き見根性をそのまま表している行為のようで、とても良い趣味とはいえません。誰かが誰かに宛てた手紙を無関係の多数の他人が読むということについて考えないわけにはいきませんが、出版されている数え切れないほどの書簡集の類を見渡すと公開されることで傷つき、人生を生き辛くなる人のいない事情だと判断された場合には許されている状況のようですね。良いことではなく、正しいことでもない気がしますが、私は読むことのできるものであるなら読みたいものをやっぱり読んでしまいます。

手紙における文章の良さというのは、他の文章や作品とは全く違った良さがあると思っています。送られる人のために書かれた親しみのある文章から表れるのは書き送った人のあらゆる気遣いが込められた心情でしょう。

今は手紙のやり取りが廃れてきていると思います。

遺書やラブレターもすべて紙と筆無しに表現され、それを液晶で眺めるようになると思うと物悲しい気持ちになります。どんな紙にどんな筆で書かれた手紙かという事から伝わるものの大きいことは皆さん御存知でしょう。破いたノートの切れ端に、殴り書きされたメモのような手紙があるとします。その手紙からはきっと、そこに書かれた言葉以上に訴えかけてくるものが紙の皺や文字の乱れに見えるものだと思います。

八代亜紀の『愛の終着駅』ではこんなふうに歌われています。(私が古い歌謡曲や演歌を知っている事情につきましてはくどくどと説明するのも鬱陶しいことかと思われますので割愛することに致します)

 

寒い夜汽車で 膝を立てながら

書いたあなたの この手紙

文字のみだれは 線路の軋み

愛のまよいじゃ ないですか

よめばその先 気になるの

八代亜紀『愛の終着駅』より

 

どうです。こういった状況が今後私達の身の上に決して起こらないと考えると、ちょっと淋しく口惜しくなりはしませんか?

話がずれました。とにかくですからつまり色々な意味で手紙とは素晴らしいものだと思います。特に手書きで書かれた手紙は貴重だと強く思います。私も誰かに書きたいものです。便せんや封筒を選び、拙い字をなるべく感じの良いようにカバーできる筆を選び、書いては破り、また書いて丁寧に折り、その方の好みに合わせた香に潜らせた封筒に入れた手紙を完成させ、投函します。精根尽き果て、倒れるくらい過酷な手紙地獄の道のりを歩んでみたいものです。

軌道修正に失敗しましたが今度こそ本題に入りたいと思います。

今回は手紙が手書きでしか書かれなかった時代の様々な手紙を取り上げて紹介したいと思います。すべて本の中で出会った私の大好きな手紙です。一緒に読んで下されば幸いです。

 

一通目は詩人の中原中也が恋人だった長谷川泰子に送った手紙です。一部を以下に抜粋します。

 

僕は物が暗誦的に分らないので、全然分らないので自分が流れると何もかも分らなくなるのです。けれども、僕は分らなくなつて悄気た時、悄気ます。人のやうに虚勢を張れません。そこで僕は底の底まで落ちて、神を摑むのです。

そして世間といふものは、悄気た人を避ける性質のものです。然るに芸術の士であるといふことは、虚偽が出来ないといふことではないか!

そしてあんたは虚偽では決してないが、恐ろしく虚偽ではないが、自分を流してしまひます。そしてあんたの真実を、嘗ては実現しませんでした。

が、どうぞ、沈黙で、意志に富み、(外物を)描写しようといつた気分からお逃れなさい。そしてどうぞあんたのその素質を実現なさい。

打つも果てるも火花の命。

千九百二十九年六月三日

あんたに感謝する

中原中也

角川ソフィア文章『中原中也との愛 ゆきてかへらぬ』長谷川泰子著、村上護編より。


以上が一通目に紹介したかった中原中也の手紙を一部抜粋したものです。これを初めて読んだ時、とても感動したのを憶えています。こんな内容の手紙を送られた長谷川泰子という女性はどんなに素敵な人だったのだろうと思わせる手紙でもありました。生きても生きてもこんな手紙はもらえないだろうと思い、憧れました。


二通目と三通目は哲学者のニーチェの手紙です。最初に載せるものは想いを寄せていたルー・ザロメへ宛てたもの。次は、友人のペーター・ガストへの手紙です。


ルー、ほんの五文字だけ、ーー両眼が痛むのです。

あなたのペテルブルクの手紙は手に入れました。二日前、あなたの母上さまにも手紙を出しておきました(かなり長いものです)。

パリへも照会の書簡二通発送しておきました。ーー

なんとも憂鬱なこと!

こんなにも疑い深い自分であること、今年にいたるまで私にはわからなかったのです。つまり自分にたいしてです。人間との付き合いが、自分との付き合いを駄目にしてしまったのですね。

なにか私におっしゃってくださるようなことがありますか?

あなたのお願いとあるならば、あなたのお声こそ私にとってのなによりの効き目です。でも人はそう耳を貸すこともしないでしょう。

私は熱意をこめるでしょうーー

ああ、この憂鬱なこと!私は無意味なことを書いています。今日、人間どもは私にとって、なんと浅薄なことでしょう!実際に溺れて死ぬことのできる海が、なおどこにあるのでしょう!私はひとりの人間のことをいっているのです。

私のルー

私はあなたの忠実なF・N


以下よりペーター・ガスト宛ての手紙部分になります。

ーー僕の生活と思索の歩みが僕に要求したものはきわめて過酷な犠牲なのだ、ーーいまでも赤の他人と一時間も気のあった歓談をすれば、僕の哲学はすっかりゆらいでしまう。愛を犠牲にしてまで正当であろうとしたり、互いの共感を破らないようにするために最も価値のあるものを伝ええないなんていうことは実に馬鹿げたことに思えるのだ。ここにわが涙がーー

ーー僕は僕自身をはるかに乗り越えてしまった。いつか森のなかで、僕のそばを通りすぎていったひとりの紳士が、僕を鋭く見つめたことがあった。その瞬間、僕の顔には輝く幸福の表情が浮かんでいたにちがいない、と感じて、もう二時間も彼と一緒に歩きまわったようにも感じたのだった。僕はすべての湯治客のうちでいちばん目だたない客のように、僕の名をあかさずに暮らしている。

ーーサント-ブーヴの『十八世紀の人間』をもっているかい?それは人間を描いた素敵な絵なのだよ。サント-ブーヴは偉大な画家だ。だけど僕には、彼がみていない弧線がひとつひとつの人物像のうえに認められるのだ。僕にこうした優位が与えられているのも僕の哲学のおかげだ。僕の哲学がだって?僕なんて悪魔に攫われればいいんだ!君はあの神さまに連れていかれればいいのだ!ーー神さまはどんな客人をもお喜びになるからね。

誠実な君のF・N

以上二通ともちくま学芸文庫ニーチェの手紙』より。


この二通の手紙を読んで感じたのはニーチェの人間臭さです。愛すべき愚かな人間らしさが痛いほど伝わってくる手紙だと思います。書き手がニーチェであることで特別に印象深く味わいのある手紙です。


四通目は私の大好きな詩人エミリー・ディキンスンから文人トーマス・ウェントワース・ヒギンスンへ送られた手紙です。


「出版すること」を先にのばすようにとのお言葉に苦笑しています。そういう考えは海の魚と空のように、私の気持ちとはかけ離れています。

もし名声が私のものなら、それを逃れることはできないでしょう。そうでなければ、どんなに長い歳月を待っても私に追いつきません。そして私の犬でさえも私を見限るでしょう。今の裸足の階級のほうがましです。

あなたは私の歩調を「気まぐれ」とお考えです。私は危ういですーー、先生。

また私が「抑制がない」とお考えです。私には訴える法廷がありません。

思潮社『ディキンスン詩集』より。


凄い手紙だと思います。詩人を志し、自分の詩を送り、批評を請いながら文通を続けていた先達に向かう時の彼女の態度は真摯で白熱した烈しいものだったと思います。壮絶で美しい手紙だと私には思えます。ほんとうに言いたいことはいつも言えないような内容なのですよね。彼女はほんとうに言いたいことを言う人でした。涙がでます。


五通目を最後に紹介する手紙に致します。長い間お付き合いくださってありがとうございます。最後もほんとにお気に入りの手紙です。『こわれがめ』等が有名な劇作家ハインリヒ・フォン・クライストへ宛てられたアドルフィーネ・フォーゲルの手紙です。


あたしのハインリヒ、何というなつかしい名前、あたしのヒヤシンスの園、あたしの歓喜の海、あたしの黎明にしてあたしの黄昏、あたしのエオリアン・ハープ、あたしの朝露、あたしの虹、あたしのいとし子、あたしの大事な心臓、あたしの喜びにしてあたしの苦しみ、あたしの蘇り、あたしの自由にしてあたしの隷属、あたしの安息日、あたしの黄金の聖杯、あたしの快楽、あたしの熱情、あたしの愛する罪びと、あたしのこの世とあの世の欲望、あたしの目の慰め、あたしのいちばん嬉しい心配、あたしのいちばん美しい青春、あたしの誇り、あたしの庇護者、あたしの良心、あたしの森、あたしの輝き、あたしの剣にしてあたしの兜、あたしの雄々しさ、あたしの右手、あたしの天国、あたしの涙、あたしの天上への梯子、あたしの聖ヨハネ、あたしの騎士、あたしのヴェッター伯爵、あたしのやさしいお小姓、あたしの崇高な詩人、あたしの水晶、あたしの生の源泉、あたしの安らぎ、あたしの枝垂れ柳、あたしの指揮官、あたしの後楯にしてあたしの救い、あたしの希望にしてあたしの期待、あたしの夢にしてあたしの慰め、あたしの甘ったれの仔猫、あたしの砦、あたしの幸福、あたしの死、あたしの小舟、あたしの谷間、あたしの良心、あたしの忘却の河、あたしの揺籃、あたしの薫香にしてあたしの没薬、あたしの裁き手、あたしの聖者、あたしの夢想家、あたしの友、あたしの神経、あたしの黄金の鏡、あたしのルビー、あたしの魔笛、あたしの茨の冠、あたしの奇蹟、あたしの生徒にしてあたしの教師、考えられるかぎり信じられるかぎりの一切より以上にあなたを愛しています。あたしの魂をあなたに捧げます。

追伸。あたしの正午の影、あたしの砂漠の泉、あたしの母、あたしの信仰、あたしの内部の音楽、あたしの天国への門。

河出文庫澁澤龍彦編『言葉の標本函 オブジェを求めて』より。


この手紙を読んでからもう随分経ちますが、今も新鮮な気持ちで読めます。瑞々しく感じられます。素直に想いを伝えることの美しさを眩しく思います。

いつもいつも頭と心を悩ませてたくさんの言葉を話したり書いたりして生きていますが、時々これらの手紙を読むと大事なことに立ち返る気持ちになります。

手紙について書いた今回のブログでしたが、先に申し上げました通り、長くなりました。最後まで読んでくださった方に感謝致します。ありがとうございました。またどうぞ遊びにいらしてくださいね。

それにしても手紙を書きたくなりました。殺人的に長い手紙になりそうですが、考えてみれば「あなたがすき」とはたったの六文字なのですね。先刻、そのことに気付いた時の驚きといったら!驚いた後、笑いました。六文字のために皆さまも苦悩していらっしゃるのでしょうか。それではまた。どうぞお元気で!