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冬の一角獣

真城六月ブログ

贈りものやケーキの箱の赤いリボン

誕生日やクリスマスを思うと閉じた眼に赤いリボンが見える。

贈りものの箱や袋の中には欲しかったもの、または、初めて出会う嬉しいものが入っている。わたしはいつもすぐには包みを開けずに箱や袋を凝視めた。リボンのかけられた贈りものは包みを解く前、不思議にうつくしかった。早く中身を開けて見たい気持ちでそわそわしながら贈りものの入った箱や袋を抱きしめていた。

特に印象的なのは真っ赤なリボンで、それを解いて大切に手に持っていることが多かった。うんと幼い頃は両親がわたしの小さな頭にそういったリボンを大きく結んでくれた。贈りものやケーキの前で大き過ぎるリボンをつけた自分を写した写真は見返す度に吹き出してしまう。やがて頭に結ばれていたリボンは新体操の真似事に使われるようになった。指先で端をつまんでくるくると幾重にも空に円を描いた。飽きずにいつまでも振り回した。

そのうち贈りものやケーキの箱に見るリボンは様々な色や素材に変わっていった。赤を見ることの方が今では少ないくらいで、それは金であったり緑であったり茶であったりする。大人びて洒落たそれらを好ましく思うようにもなった。ほとんど忘れてしまった赤いリボンを再び見た時はショックだった。ちらと見るだけで傷つくくらい可愛らしい鮮やかな赤いリボンは贈りものを華やかに愉快に引き立て、箱の中でひんやりとしているケーキを甘くして、祝福の心を結び、差し出す人と贈られた人に添うように見えた。素直に燃えるそれを見ると、やはりリボンは赤でなきゃなんて時間を遡る気持ちに身を任せて思った。

リボンなんか要らない、大げさで煩わしい、赤なんて恥ずかしい。そうかな。そうなの。ええいっ。


お店などでお祝いの贈りものをラッピングしてもらう際にリボンを選ばせてもらえるなら、相手が誰であろうと構わない。勝手に選んだ赤いリボンをかけたものを大得意に贈ろう。



そんなことを考えて最近もにこにこした。