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冬の一角獣

真城六月ブログ

見えない装束 【創作】

春休みはお風呂に入っている時のもわもわとした蒸気の中に漂っている。消えそうで消えない。
春休みはお風呂場の天井付近を舞い、シャワーの近くで翻る。やがて行き場を失った春休みは開けた窓から出て行く。




何時だったか分からない。何処か旅行先で兎を追って山を登った。力の弱い子供の足はすぐに疲れたけれど、大きな兎は美しかったから子供を何処までも登らせた。
小さな山だったのだろう。子供は登りきった。兎を見失った子供は墓地に立っていた。
金色の夕陽が樹々の枝葉の合間から射していた。
密集した墓石の立ち並ぶ誰もいない緑のなかで子供は不思議な感覚を得ていた。
それは言いようのないもので、淋しさに少し近く、恐ろしさにも似て、なにがどうしてとは言えないものだった。一切が遠いような、綱渡りの前の悪い予感のようななにかだった。

子供はしばらく独りで立っていた。
ぼんやりと疲れた身体でそこにいると倒れてしまいそうな気がした。

どうして気を取り直したかは思い出せないが、とにかく山を下りた。
下りた道に山菜採りのお婆さんがいた。後ろ暗いことも無いのに子供は気まずかったので、お婆さんの籠を持って歩いた。
宿泊先の旅館まで一緒に歩いた。お婆さんはなにも持っていないのに、疲れた様子でゆっくりと歩いていた。
「どうしたの?」
心配になって聞くと彼女は答えた。
十二単が重くてねえ」
当然、お婆さんは軽装だった。子供はなにも言わなかった。





春休みは桜の見えないオフィス街で切れかかっている街灯だろう。パッと点いて消える。また点く。瞬きは短い。
気をつけなければいけない。
振り返ると、すれ違ったスーツの女性が十二単でしずしずと去っていく。



春休みは十二単が重い。