冬の一角獣

真城六月ブログ

2020.7

 

 

取り組んできた事のうち一つがひと段落つき、まだ毎日雨が降る七月を見ています。

 

 

雨を遮った部屋の中で、とろける猫につられて自分もとろけるようなのです。

 

 


カフェでは、この席には座らないで下さいと書かれた紙が貼られていて、人々は少しずつ離れて、電話をかけたり、トーストをかじったり、鏡を覗いたりしていました。少しずつ離れて座るわたしたちは惑星のようだなと思いました。あの人は水星。この人は金星。

 

 


家に帰れば、とろけるわたしにつられて猫もとろけるのです。懐かしい。かなしい。お客さんが来ない店先の髪飾りの輝きは懐かしい。さびしい。生きることを。

 

 


知らない人がマスクをしていて、マスクをしているわたしの背後からわたしを追い越しながら振り返り、わたしの目を見て、こんにちは。と言いました。わたしは驚いて返しました。こんにちは。わたしはどうして驚いたのでしょう。挨拶はうつくしいものだと思い出して。他者からわたしは見えます。わたしから他者は見えます。見えていますよ。わたしにも見えています。こんにちは。こんにちは。

 

 

 

おひさまについて。おひさまに熱を分けてもらい、雨上がりのアスファルトを歩いていると、向こうから散歩の犬が出していた舌が赤かったです。そして、紫陽花は老女優のため息で、夏休みが早送りになった子供達の笑い声がわたしに流れ込んできた時に、頭のてっぺんから足の裏まで巡ったおひさまが水たまりを飛び越えさせてくれました。

 

 

 

愛しいって、かなしいとも読みます。時々、人の感情や思念というもの、それが確かに存在しているということをうつくしすぎるなと思います。