冬の一角獣

真城六月ブログ

2020.5

 


サカナ様

 

 

 

わたしは今、家にいます。家の中の自分の部屋で座っています。その座って、これを書いているものの内にわたしがいます。これを書くまでに色々な事がありましたが、それらを書くのは無理な事です。何故ならあまりにも今、今、今の繰り返しは膨大に積み重なっています。今と書くより、現在と書いた方があなたの好みでしょうか。わたしはどちらでも良いです。いずれにせよ、全て書く事は出来ないし、その必要もありません。これをあなたが読む時には、わたしももう書いている時のわたしではありません。Suedeの『Everything Will Flow』という感じです。

 

 

 

あなたは世の中が現在のようになる前までと変わらずに働いています。わたしは、あなたが朝の駅でホームに立つ時のまだ眠い瞳を思います。あなたは鼻と口元をマスクで隠しています。髪の毛に五月の陽が射して、あなたを照らしています。あなたは暑くって少し可笑しい気持ちで電車に乗り込みます。あなたが微笑んでいるのは、マスクのおかげで誰にも分かりません。電車の中であなたは座りません。つり革や手すりに触りません。あなたは両足を肩幅程開いて踏ん張ります。わたしの夢の中で、あなたは何度かバレリーナでした。

 

 

 

電車を降りて、階段を上り下りして、歩き歩き回り、電車を乗り換えてあなたは職場のある駅に着きます。また歩いてあなたは出社します。同僚や上司に挨拶をして、あなたは手を洗います。仕事は煩雑です。世の中が変わる前よりあらゆる意味で神経を使わなければならなくなりました。最初は非日常だった全ては、習慣化して根付いていくようです。

 

 

 

細かな物事に注意を払うあまり、あなたは鏡を覗かなくなりました。たまにちらと自分の顔を見るとあなたは、すぐに目を逸らすのでした。如何なる時も自他を凝視するあなたにそうさせるなんて何によっても全くおかしな仕業です。

 

 

 

あなたは集中し、スキルを惜しまずに使い、業務をこなし、一つ一つをやり遂げます。やり残した事があれば、その日の夜に帰宅してから手を入れ、次の日の自分に引き継ぎ、終えた事をも点検しながら家路につきます。道路を走る車は疎らで、飲食店や商業施設の灯りも寂しげな街をあなたは歩きます。人通りはほとんど無く、閑散とした夜は哀しく恐ろしく、存在に滲み入るように空気は澄んでいるのです。そうした夜の風が吹いて、あなたの額を冷まします。

 

 


帰宅すると、あなたはありとあらゆるところを出来るだけ消毒します。手を洗い、ドアノブや蛇口を拭き、服を脱いで洗濯機に入れてシャワーを浴びます。何が洗い流せるもので、何が洗い流せないものか不意に曖昧であるような気がします。清潔が哀しみを帯びる事を初めて感じ取ります。安心を求める心細さを振り切るようにあなたはお湯を浴びます。

 

 

あなたは買って帰った食事をとります。テレビをつけてみて、煩いのですぐに消したりして。少しだけぼんやりとした頭で疲れを感じて。

 

 

あなたはあなたのままなのに、何かが、何もかもが移り変わっていくようなのです。一人一人思い浮かぶ順に色々な人々を思います。離れて暮らす親兄弟。友人知人。大体は煩わしかった人間関係が薄ぼんやりと遠くなっていくような妙な気持ちがします。連絡を取り合う手段のスマートフォンがあまりに巨大な意味を持ち始め、肌身離さずいたいような、これには温度も匂いも無いじゃないか!と八つ当たりしたいような。ほっとするような。全てのものの輪郭は明確になったり、ぼやけたり、ピントが合いづらく、あなたは眼鏡を外して直接ものを見ます。それは新鮮な驚きの連続です。遠近も新たに感じる世界では、ブラジルも二駅先も変わらないほど身近です。

 

 

 

眠る前、窓の外に首を出し、あなたは何か言いたいのですが、何に向かって言うのか、何を言えば良いのか分からずにいます。あなたは「ごめんね」と言ってみます。すぐに違和感を覚え、今度は「ありがとう」と言います。それで窓を閉める直前に、急いで「おつかれさま」と付け足します。

 

 


あなたとわたしが会えたのは、生まれ、生きて暮らしてきたからです。それは凄い事ですね。毎日を営み続けたら、また会う事が出来ます。絶対も当たり前も無いのは以前から同じですが、現在ではそうした事の重みはまるで違って感じられます。わたしは自分の生があなたに接続している事を今ほど理解した事は無いように思います。わたしはあなたに、このよろこびをうつしたいです。左右ちぐはぐに靴を履いていた頃、小さなシャベルで植えたチューリップは咲きました。狭い庭で犬は走り回りました。わたしはあなたに手紙を書いています。