冬の一角獣

真城六月ブログ

電話

 

 

今ではあり得ない事ですが、間違い電話から友達になった人が昔いました。

 

相手がかけてきたのが先か、こちらが先だったか憶えていませんが、最初のうちの意味不明な会話の内容よりも不可解な可笑しさから受けた感じをよく憶えています。相手が女性だったのが通じない会話を続けさせたのもありますが、それだけではなくて、彼女の声から、あたふたと戸惑っている様子が伝わり、こちらの警戒心を解いたのだったと思います。

 

彼女は若く、わたしも若かったです。全然別の遠い地域に暮らしていて、彼女はカメラが好きだと控えめに言ったはずです。誰だか知らない人だった彼女は、わたしの暮らす地域にいつか行ってみたいと言いました。彼女は彼女の親や兄弟が電話に気づくと、唐突に通話を切りました。いつも親に隠れてわたしたちは電話で話しました。

 

あれは、本当にあった事なんだろうかと空想か何かだったのではないかと自分でも記憶を疑うような。電話の友達もそういう存在であやふやで柔らかな思い出です。

 

電話の友達は、繰り返し夢を語りました。必ず叶えると言っていました。わたしは彼女の夢が叶うのを信じて、応援していました。彼女は好きな映画から受けた感動を語りました。わたしは彼女の感受性に感動しました。飼っている鳥の話。イヤな男の子の話。色々な事を話しました。彼女がするように、わたしも家族に気づかれそうになると通話を切りました。やましいから隠すのでは無く、取り上げられる訳にはいかないものだったので隠しました。

 

 

わたしから彼女に話したのは、大体いつも同じ話だったような気がします。好きなミュージシャンの話です。今もそうなのですが、わたしは基本的に好きなものの事しか考えていないし、語らないのです。彼女はおそるべき忍耐力で過剰なファンの過剰な語りを聞いてくれました。本当に大好きなんだねと、いつも言ってくれました。

 


何が理由だったか、理由など無かったような気もしますが、電話は途切れました。ずっと家族が邪魔な日が続いたり、酷い風邪をひいたり、他の事で忙しかったり。彼女もそうだったのでしょうか。電話がかかってこなければ、こちらからかければ良いだけなのに、どうしても出来なくなっていきました。かけずにいると、もっとかけられなくなっていきます。かかってくるのを待っていても、全然かかってきません。こういった事は誰でも経験があるでしょう。わたしは、そのうち彼女はわたしと電話するのが嫌になったんだなと思いました。嫌がられているのではと勝手に推察すると、ますますかけ辛くなるものです。

 


それでも数カ月後、わたしは電話をかけました。彼女は取りませんでした。わたしは、恥ずかしさと絶望でお風呂に入るのも億劫でした。悲しみのあまり、シュークリームを三つ立て続けに食べました。そうして荒野をさすらっていると、彼女から電話がありました。飛び上がって出ると、彼女は彼女でした。話しながら、窓の外を見るとしょーもないありふれた庭がきれいでした。

 


彼女はわたしに元気かと聞きました。ごめんね忙しくてと言いました。電話くれてありがとうとかなんとか、そういう事を言った後、夢を叶えるのが難しくなったと話しました。色々あって、そっちにも行けないし、たぶん夢も叶えられないと。わたしは、今は無理でもいつかは出来るよなんて慰めたと思います。彼女は、いつか夢を叶える為にもわたしのところの近くへ行きたいけれど、そのいつかは来ないかもしれないと言いました。わたしは待っていると言いました。

 

「この前ね、お店に入ったら、あなたの好きなミュージシャンの曲が流れてて。あなたを思い出したの。それで、わたしはそのミュージシャンの曲を聴けばいつもね、あなたを思い出すと思う。これからもいつでも。どこで聴いても。それって凄くない?」

 


それって凄くない?