冬の一角獣

真城六月ブログ

レイ・フォードの詩集

 

 

存在しない本で読みたい本があります。
それはたとえば、本の中の登場人物が書いた本などで、世の中の隅々まで探したとしてもどこにもありはしないことは分かりきっているものですが、読んでみたくてたまらないものです。

 


わたしが昔から読みたいのは、レイモンド・フォードの詩集『臆病な朝』と『回転木馬に乗った男』です。これは、サリンジャー初期の作品『倒錯の森』に登場する詩人レイモンド・フォードの書いた詩集で、作中ではこの二冊を彼は出版したことになっています。『倒錯の森』の中でサリンジャーはレイモンド・フォードの詩のほんの一部を見せてくれていますが、それだけで『臆病な朝』と『回転木馬に乗った男』がどんな内容なのかは分かりません。ただ、その見せてくれた一部と、レイモンド・フォードの語る言葉と、この物語を読むことで十分すぎるほど、二冊の詩集をどうしても欲しい理由になります。

 


サリンジャーが書いたレイモンド・フォードはサリンジャー自身で、だからレイモンド・フォードの詩はつまりサリンジャーの詩なのでしょうか。わたしには、どうしてもはっきりと、そうでしかないだろうと言う気になれません。神秘的な不可能の仕事というものがあると思います。サリンジャーが『倒錯の森』を書いた時、レイモンド・フォードが詩を書いていた時、どちらも不可能の仕事がされていたのかもしれません。

 

 

『倒錯の森』は凄い作品です。サリンジャーは凄い作家で、多くの人にとってとても重要な作家で、わたしにとっても特別な作家です。「読めて良かった。生きていて良かった。でもこんな作品を読んでしまって、どうしよう」と感じさせてくれた作家です。サリンジャーは『倒錯の森』の中でレイモンド・フォードの口から詩や詩人について語らせていると受け取ることも出来ますが、その中でレイモンド・フォードは次のように言っています。

 

 

「詩人は詩を創作するのではないのですーー詩人は見つけるのです」

 

 

まさにそうだろうと思います。比較的有名なもので「詩人は育てられるものではなく、生まれつくもの」という言葉もありますが、サリンジャーとレイモンド・フォードが言っているのはこれを含み、更にまた全く別の意味合いを含むものだろうと思います。

 


怖いようなことだと思います。詩を発見する人の生は過酷さを避けられないものでしょう。祝福と同時にそれと正反対のものも絶えず彼らには降り注いでいるように思えます。

 


他にも存在しない読みたい本はたくさんありますが、今は『臆病な朝』と『回転木馬に乗った男』という二冊について募る憧れを書き留めておきます。

 

 

存在しない本に焦がれながら、存在する本を膝に乗せて、かなしいうつくしいものをいつも忘れられずにいる呪いにかかっているのはなんという心地でしょう。言ってみたくなります。まーゔぇらすっ!レイ・フォード。お願いです。深く訴えかけ、重く呼びかけて黙らせて欲しい。どうか無口にさせて下さい。賞賛なんて簡単にさせないで下さい。美は驚異です。