いつかのかもめは遠くなり
いつかフェリーに乗りました。
短い航路でしたから身体中、心ごと味わおうと思っていました。
乗り込んですぐ、船酔いをして顔色も悪く横たわる人々がありました。
すべての乗り物に酔う質の私でしたが、その時は不思議と元気でした。
しばらく船内にいましたが、甲板に出たくなり、お店で小さなジャムパンを買って窓から見えていたかもめに会いに行きました。
窓越しの海と空とかもめとは全然違うものに甲板で触れました。匂いや風や音やすさまじくて嬉しかったです。
袋から取り出したパンをちぎって投げました。身を乗り出して次々と投げました。みるみるうちにかもめは数を増やして集まりました。空が見え辛くなるほど私を取り囲んで鳴くのでした。すごい声でした。耳に残っています。
風が激しく、波が騒ぎました。私の髪は乱れて身体はもう少しで浮き上がりそうな気がしました。海の匂いが骨までしみてきそうで、くらくらしながら笑っていました。楽しくて楽しくて。
甲板に私を探しに来た大人のはっとした顔が忘れられません。ただ遊びたいだけだった私をどんな意味で案じたものか今では分かります。
真っ青な顔をしたその人に連れられて戻った窓辺でいちご牛乳を飲みました。甘ったるい生きた心地の味がしました。
いつかのかもめは遠くなりました。
海の匂いを骨にしみこませたまま。
騒ぐ心はいまだに身を乗り出して遊びたがっています。
それにしても「自分」の重くなったこと!
では、またお元気で。
以下にエミリー・ディキンスンの詩を引いておきます。
おお 豪華な一瞬よ
ゆっくりといけ
わたしがほれぼれと眺めていられるようにーー
飢えても決して前と同じではないだろう
わたしはいま 豊饒を見る
エミリー・ディキンスンの詩(一一ニ五番)より。