冬の一角獣

真城六月ブログ

看花

 


渡り廊下が好きだった。通れば、橋を渡っている気分に少し浸れる。浮橋のイメージ。吊り橋。滑走路。脆そうな、危ういような足音と浮遊感、いつかも通った既視感。なにかとすれ違いそうな予感。それでいて頑丈などこにも隙の無い安心感。みんなで通るときよりも一人で通るのが良かった。時々、廊下は透き通っていた。壁も床も天井も白く、感情が澄んだ。歩きながら夢みることができた。

 


緑の香り。

 

席替えのとき、望んだことは大体二つ。窓際の席になりたい。好きな人より後ろの席になりたい。見られることが嫌いで、見ることが好きだったから。一番後ろの席が良かった。望みは叶うことも多く、後ろの席になった暁には好きな人の髪や背中や笑う時の肩の上下を見てしあわせ。窓際の席から窓の外を眺め、眺め眺め眺めて。時間は巻き戻らなかった。スローになったり、早送りになったりはした。

 

 

惑い。眠り。震え。そしてなお眠り。

 

 

保健室の先生はぼやけている。傷つけてこなかった。曖昧に優しかった。顔も言葉も一欠片残っていない。ベッドは白かった。外の光が窓から射し込み、それがあたっている部分のシーツは温かかった。何処にいるよりも隠れることの恥ずかしさに突き刺されるような場所だった。安らいでいる他の生徒の寝息が耳についた。見開いた目に探しているものが見つからない午後の重なり。放課後。牛乳と石鹸、静かに褪せる袖や襟。たのしまない心の底に沈み、滲んだ色で残っているのは、毎日見ないように通り過ぎた花壇のパンジー。黄色。紫。消毒液、夕陽。

 

 

綻び。僅かな。

 

 

なにもない。黒いマフラーをまいて、水色の歩道橋をのぼる。巻戻しの無い、朝と日暮れ。降りたことの無い駅。行き過ぎる瞳の中で踏切がうつくしい。壁の落書き。線路わきに溢れる植物。家々の屋根の上に渡り、伸びる電線と羽ばたく鳥。小さなベランダに干したまま取り込まれない子供用のタオルケット。

 

 

呼吸。

 

 

なにもかも。打たれなかった電報。送られなかった荷物。売れなかった檸檬。叩かれなかったモグラ。弾かれなかったギターの弦。鳴らされなかった指のしなやかな細さ。まっさら。漂白されない白。

 

 


光。

 

 


産毛のほうが暗い色。泣き叫ばずに産まれた子供。栞を失い、一度しか出逢わなかった行。

 

 


静止、沈黙。

 

 

 

話しかけると、あなたは、必ず、終わらないように、必ず、質問をして返した。私はこたえなければならなかった。そば近く通るだけで、あなたは赤くなった。私は遠くから見て、あなたがいると分かると、唇を拭い、髪を結んで、暗い顔をした。話すときは声を低く出した。手短に。事務的に。私はどんどん醜くなった。あなたは、微笑みかけることをやめなかった。私はいなくなった。

 

 


閉じる間に。

 

 


音楽は奏でられ、紙に色が塗られ、早送りは願ってもいないものとなり、花は咲き、それを数え、花は枯れ、それを数え、花を。すべてを。

 

 


愚かな情け、いとしい営み。日々の。

 

 


数え終えそうになる度に、さまよう指が覆う 目蓋の下が遠くなるごと慕わしい。そしてまた、それでもまだ、新たな新しい花をまた。窓から、待合室から、書棚から、浴室から、歩道から、行き過ぎる列車の音を聴いている。