冬の一角獣

真城六月ブログ

冬の忘れもの

 

 

 

いつもお付き合いくださっている皆さま。


気にかけてくださる特殊な皆さま。

 

一年間過ごしていらしたことお疲れさまでした。

 

 

この一年の感謝を申し上げます。どうもありがとうございます。また、お気づきかもしれませんが、更新が減ってしまったことをお詫び申し上げます。

 

 


自分が好き勝手に書いているブログなのにいつの間にか自分には勿体無い読み手の方々と出逢い、寄り添って頂いて、支えられています。静かに見守ってくださる方にも感謝を申し上げます。

 

 

 


個人的なことを少し。自分にとって、この一年は生活が一変し、ほとんどどこへも行けず、ほとんど誰にも会えず、ただひたすらに目の前のすべきこと、小さな一つ一つをこなしては、日々をやっと乗り越え過ごしてきました。正しいか間違いか知りませんが、選択肢の無い日々でした。それでもたしかに得るものはありました。

 

 

そういう時間の中にあって、最も心和んだのは、生き生きと自由に瞬間を充実させて楽しんで今を生きている人々の様子を見聞きすることでした。自分が身動き取れないからこそ、誰かの達成や跳躍にこちらの心も晴れるようでした。苦しい時や辛い時は思い切り生きている元気な人が特に鮮やかに見えました。目に見えないだけで、誰もがいくつも何かを抱えて秘めて、生きていることを知ってはいるつもりでいますが、屈託の無い笑い声、歌声に勝手にこちらまで晴れ晴れとした気持ちにさせてもらっていました。

 

 

 


暦が新たになったところで、人の置かれている立場や取り巻く状況が変わるわけではありませんが、それでもやはりどこか新たになるような、そんな気にさせる、新年を迎えるというのは不思議に面白いです。気持ちだけでも新鮮な新しい朝の空気を吸い込んでみたくなります。冷たく切るような澄み切った空気を思い切り身体に取り入れたらもう一度少しだけ清潔になれるでしょうか。

 

 

 


秋になって自分は自分。冬を迎えて自分は自分。年を越しても自分は自分。混み合ったスーパーマーケットでお雑煮に入れる椎茸を探している時も、南の島でいつか日焼けしていた時も、猫がいなかった時も、猫を抱いていても、逃げても閉じ篭っても、揺りかごから墓場まで自分は自分。誰といても一人でも、どこまで行っても、ここで無理に立ち止まり続けても。

 

 

 

 


ひゅー。外は風が冷たいです。昨日は、自転車置き場のフェンスの金網に、ピンク色の小さな手袋が引っかけられているのを見ました。片方だけ。わたしには小さいし、手袋を欲しがる子供のキツネにはちょっと大きいかな。なんて思いました。忘れものの手袋はいつもとても美しいです。冬に見るものの中でお気に入りのきれいなものです。

 

 

 

 

 


皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。

 

 


またね。

 


                                        真城六月