冬の一角獣

真城六月ブログ

芙蓉 白芙蓉 羽衣

 

 

 

雨ばかり降る八月のある日、なりたいものは芙蓉で白芙蓉で羽衣でした。

 

 

天女に憧れるのではなく羽衣に憧れるのは、アリスにではなくエプロンドレスに、仮面ライダーにではなくバイクに憧れるようなものでしょうか。

 

 

でもエプロンドレスに憧れる人は、それを着たいのでしょう。バイクに憧れる人はそれに乗りたいのでしょう。わたしは羽衣を纏いたいのではなく、欲しいのではなく、羽衣になりたいと思ったのです。

 

 

芙蓉を見て、白芙蓉を見て、羽衣と思いました。雨の降る夏の薄暗さは夢みることを手伝います。

 

 


いつもより読書出来ないお盆でした。たくさん読みたい本はありましたが、全然読めませんでした。時間が取れず、頭がまわらず唯一きちんと読み返したのは、寺山修司のメルヘン全集の三冊目『ひとりぼっちのあなたに』でした。ブックデザインは宇野亜喜良。きれいなブルーが印象的な本です。このメルヘン全集では『赤糸で縫いとじられた物語』をよく読み返しているので『ひとりぼっちのあなたに』は久しぶりでした。

 

 

山田太一との手紙のやり取りなど若い日の苦さと瑞々しさを感じます。手紙の言葉はどれもいまだに新鮮です。「ぼくのギリシア神話」もギリシア神話好きなので愉しく読めます。虚実ないまぜの彼の言葉が個人の物語と神話を結びつけて絡ませて面白くしています。ユーモラスであたたかく哀しい文章に何故かこちらは深くリラックスします。そうだった。良かった良かった。と安心出来て心地良い。そんな風に馴染みの文章を持つことは生きていく上である意味救いです。

 

 


少しだけ引きます。

 

 

 

ーー幼年時代に、キタテアゲハという蝶が好きで、それにあこがれつづけていたが、ぼくのきらいな隣の家の子が、それを捕まえたときからきらいになった。
ぼくはキタテアゲハの品のなさについてまくしたてるようになり、キタテアゲハが一番きらいな蝶だと言うようになった。隣の家の寝室へしのびこんで、それを粉々にしてやりたい衝動にさえ駆られたものだった。
だが、だれも見ていないとき、ふと窓辺に迷い込んできた、べつのキタテアゲハを見たとき、日ごろの悪口も忘れて、呆然として見とれてしまったのであった。

 

なぜかならず
ひとりのおまえをえらぶのか
納得できぬまま おまえを撃ち殺すのか
なぜ
おおくのたくみに飛ぶ鳥の中から
おまえを
えらび……

 


この安水稔和の詩のように、「えらぶ」ことの偶然性が、必然化していくところから悲劇がはじまるのである。

 

 

 

寺山修司『ひとりぼっちのあなたに』より。

 

 

 

 

引用、同書からもう一ヶ所。

 

 

 

 

ーー少年時代に、私は汽車が好きであった。あの蒸気の音は心臓までもあつくするのであった。
私は日曜日の朝、そこに長くとどまっていた貨物列車を使ってかくれんぼをして遊んだ。連結器をとびこえて、機関車に移ったとき、一羽のキアゲハ蝶をつかまえた。それは、小さいがよく澄んだ色の羽を持っていた。
私はしばらく、その狭い機関車の中の暗がりで、蝶をとばしてまどろんでいたが、やがてその蝶を石炭タンクに閉じこめて、蓋をして出て来てしまった。逃げないようにしておいて、あとでみんなに見せてやろうと思ったのである。だが、そのまま忘れてしまって家へ帰り、一年たち、十年たち、今日になってしまった。
ふと、今ごろになって思い出すことは、あの蝶を閉じこめたまま機関車はどこか遠い土地へ旅立ってしまったろうか? それとも今でもあの修理不能のままで、雨にさらされたまま、投げ出されているのだろうか? ということである。蝶は死んでしまったろうか?
もし死んでしまったとして、あの私の少年時代の土地でか? それともどこか遠くの私さえも行ったことのない土地でだろうか?

 

 

 


寺山修司『ひとりぼっちのあなたに』より。

 

 

 

 

 


以上で引用を終わります。ね、妙に安心しませんか。わたしだけですか。忙しない心の動きの中できりきり張り詰めていたものが落ち着くように感じました。それから、何かがもとに戻るような懐かしさがありました。

 

 

まだ暑さは戻ってくるそうです。どうぞ残りの夏を無事にお過ごしください。

 

 

芙蓉、白芙蓉、羽衣!

 

 

呪文になりませんか。ふわふわして眠たくなる呪文です。

 

 

 


またね。