翠煙
玄関のドアを開けて外へ出るとお線香の香りがした。
蝉の声と湿った緑色の空気に包まれながら駅までの道を歩く。身体は乾いて、乾かして歩く。憧れは空っぽだから。空っぽになるまであと何歩。
小さく狭い棚は撓んでいる。押し込まれて圧し潰されて人形も書物も歪んでいる。棚の置かれた床はへこんでいる。床の下の地面は疲れている。
夏が後ろ姿になる。夕暮れはまだ見つからない。
白い犬を抱えて歩く人とすれ違う。犬の安心した表情。振り返って見れば、その人のシャツは未発見の大陸を描いている途中で、犬を抱えて歩く人の背中が汗で濡れているのは、うつくしい。犬が重いのはうれしい。抱えているものの重さをよろこべるのは。
いつか。自分の腕はさまざまなものを抱えた。小さな新しいもの、病んだもの、老いたもの、骨を。
骨はいつも軽かった。だから重いことはうれしい。重くて邪魔で厄介なものはうれしい。軽くなると突然果てなく遠くなってしまう。遠くなったと思ったら身の内に入っていて、身の内に入ったように近くに迫るともう腕の中で軽くなっているから。いつか。
あちこちで違う種類のお線香の香りが漂う。それは、家々から洩れてくる。開け放った窓から、閉め忘れた扉から、なつかしさが、生活の匂いとあたたかさと苦しみがゆったりと伝わり、あらゆる歯がゆさは圧し殺した声は時とない交ぜになる。街路はたちまち迷路になる。
「ここにいるよ」は「ここにいてほしい」に重なり綾なして、いつもいるのになにをそんなに改まって有り難がっちゃって。いつもいるのに。
近いですね。近くに感じます。