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冬の一角獣

真城六月ブログ

少女たちは本の中 (岡本かの子の)

七月も半ば。困ります。暑さにも少しずつ慣れていきます。困ります。慣れていかなければなりません。困ります。

 

今年の一月に本の中にいる好きな少女たちについて書き、また改めて書ききれなかったものを書こうと思っていました。

 

 

と、その前に。今年も半分以上過ぎてしまっていることに驚きながら振り返ると、このブログの更新もわたしによるものとしては比較的安定して出来てはいたのかと思い、不思議な気分になります。それでも少ないのだろうと思います。

特に四月には、なんと、たったの一度しか更新していません。この理由は情けないのですが、体調不良でした。

四月の半ばから五月の上旬にかけて、帯状疱疹に苦戦していました。療養していた間は、痛みがあって何一つ満足には出来ませんでした。腹部にあらわれた疱疹が帯のように身体を一周しそうに拡がっていきました。

罹ってから暫くは、調子を崩してからでは遅いと知りつつも免疫力を上げて早く治したいと思い、無理に笑っていました。ですが、無理に笑って面白い訳は無いし、却って疲れてしまうので、思い切って号泣したら治りが早かったようです。

「号泣療法」という文章を書いてみたいと思いました。もしかしたら既にそんなものが世の中にあったりして。あるわけない。

今では、はるかな四月のそんな痕も薄くなっています。

 

 

生きていると、時を選ばず色々なことがあるものと思います。とにかく今は無事健康!それだけでいつもとりあえずは良かったと感じられます。

薄氷の上を、綱渡りをしながら、砂のお城で誰もが生きているのだと思います。

 

 

 

 

話が逸れました。本の中の少女についてです。今回は岡本かの子の短い作品から何人かに登場してもらうことにしました。岡本かの子の書く少女には長く心に棲みつくような魅力を感じます。

 

 

 

 

 

 

ーー君助がゆつくり空やまはりの景色を見廻した眼を再び芍薬に戻すと、いつの間にか紫紅の焔のやうな花の群がりの向う側に一人の少女が立つて居た。

 君助はあつと心に叫んで驚いた。それが幻ではあるまいかと疑つて、自分の眼を瞬いた。

 少女はやゝ黄身がかつた銘仙の矢絣の着物を着てゐた。襟も袖口も帯も鴇色をつけて、同じく鴇色の覗く八つ口へ白い両手を突込んで佇つてゐた。憂ひが滴りさうなので蒼白い顔は却つてみづ/\しい。睫毛の長い煙つたやうな眼でじつと芍薬を見つめてゐた。

「お嬢さん! あなたはどちらの子?」

 君助は思はず訊いてしまつた。そして何といふ美しい娘だらうと険しくなる程無遠慮な眼ざしで瞠つた。

 少女はまるで相手に関はぬ態度で、しかし、身体つきをちよつとかしげた顔に生れつき自然に持つ媚態とでもいつた和みを示し、ふくよかに答へた。

「あたくし、あすこのうちの者よ」

 少女の指した神祠の茂みの蔭に、地方の豪家らしい邸宅の構へがほんの僅か覗いてゐた。

「おいくつ?」

「十六」

「名前は」

「采女子」

 問答は必要なことを応答するやうな緊密さで拍子よく運んだ。君助はこの幻のやうな美少女が現実の世界のものであることをやゝはつきり感じて来た。彼は渇いたものが癒されたときの深い満足の溜息を一つしてから

「学校へ行かないのですか」

「東京の学校へ行つてましたが、あんまり目立ち過ぎるつて、家へ帰されましたの。つまんないつてないの」

 つまんないと云ふ少女の失望の表情が君助まで苦しめて、彼は怒を覚えて詰るやうに訊いた。

「目立ち過ぎるつて、何が目立ち過ぎるんです?」

 少女は、くつくと笑つた。

「いへないわ」

 君助はもうこの時、直感するものがあつて言ひ放つた。

「あなたがあんまり美しいので、学校でいろ/\な問題が起つて困る。それで帰されたのでせう」

 すると少女はもう悪びれず答へた。

「をじさま、よくご存じでいらつしやるわ」

 陽は琥珀色に輝いて、微風の中にゆらぐ芍薬と少女は、閃いて浮き上がりさうになつた。少女はもう何事も諦め、気を更へて、運命の浪の水沫を戯ぶ無邪気な妖女神のやうな顔つきになつてゐる。しなやかな指さきで芍薬の蕾の群れを分け、なかで咲き切つた花の茎を漁り、それを撮まうとしながら少女は言つた。

「をじさま、この土地の伝説をご存じない?」

「知りません」

「この土地は小野の小町の出生地の由縁から、代々一人はきつと美しい女の子が生れるんですつて。けれどもその女の子は、小町の嫉みできつと夭死するんですつて」

「ほゝう!?」

 少女は漸く、気に入つた開花を見付けて、ぢつと眺め入つてゐた。それから、また眼を上げて君助の顔を見た。下ぶくれの下半面についてゐる美事な唇に艶が増して来る。

「?」

「をじさま、人間ていふものは、死ぬにしても何か一つなつかしいものをこの世に残して置き度がるものね。けども、あたしにはそれがないのよ」

 

 

岡本かの子『小町の芍薬』より。

 

 

 

 

 

 

 

ーー歳子は未来の良人の頭の良さを信頼すると共に、あまり抱擁力のある明哲なものに向つて、なぜかいくらか反感を持つた。

 兄の家へ戻つてから間もない日のことである。歳子は兄と一緒に音楽会へ行つて帰りにベーカリーに寄つて、そこで喰べたアイスクリームのバニラの香気が強かつたためか、かの女は家へ帰つて床についても眠られなかつた。腺病質のこどもだつた時分に、かういふ夜はよく乳母が寝間着の上に天鵞絨のマントを羽織らせて木の茂みの多い近所の邸町の細道を連れて歩いて呉れた。天地の静寂は水のやうに少女を冷やした。するとかの女は踏む足の下が朧になつてうと/\として来た。かの女の口が丸く自然に開いて小さい欠伸が出た。目敏く見付けた乳母は、「さあ、やつと宵の明星さまがお手を触れて下さいました」といつて、ふうはりかの女を抱き取つて家へ入り、深々と寝床に沈めて呉れた。

 それを想ひ出したので、歳子はやはり寝間着の上へ兄が洋行土産に買って来て呉れた編糸のシヤーレで肩を包んで外へ出て見た。今更死んだ乳母に伴つて連れて歩いて貰ひ度いといふやうな幼い憧憬の気持ちもなかつたが、さればといつて、兄や婚約中の良人にがつちり附添つて歩いて貰ひ度いと思ふ欲求も案外に薄かつた。二人の紳士は歳子の上に現はれる眠りのやうな生理的現象を生理的生活の必然的要求と受取つて、親切に労つては呉れようが、それ以上の深いものを認めては呉れないだらう。それは極めて幼稚な考へ方にしろ、あの乳母のやうに人間の総てのものとして、しんからの尊敬と神秘観を持つてかの女を扱つて呉れる素質は兄にも良人にも全然なかつた。たとへ愛の手は同じでも、あの乳母とは感触の肌触りに違つたものがあつた。歳子は生れつきかういふことを感じ分けるに敏感な本能を持つた女だつた。

 かういふ時にかの女は兄と良人と、そして自分との間柄を考へて、自分はある意味で非常に幸福な女であるかも知れないが、またかういふ自分の肝腎な気持ちを自分に一ばん近しい人が了解しない以上、自分は却つて世の中で一ばん不幸な女であるかも知れないとも考へた。だが、このことは口でいつても判ることではなし、むしろ独りで夜の空気の中を彷徨する方が焦燥の感じを少くした。

 

 

岡本かの子『夏の夜の夢』より。

 

 

 

 

 

 

 

 かの女の耳のほとりに川が一筋流れてゐる。まだ嘘をついたことのない白歯のいろのさざ波を立てゝ、かの女の耳のほとりに一筋の川が流れてゐる。星が、白梅の花を浮かせた様に、或夜はそのさざ波に落ちるのである。月が悲しげに砕けて捲かれる。或る夜はまた、もの思はしげに青みがかつた白い小石が、薄月夜の川底にずつと姿をひそめてゐるのが覗かれる。

 

 

岡本かの子『 川 』より。

 

 

 

 

 

 

 

以上、三つの作品から一人ずつ今回は三人の少女を取り上げました。

 

わたしが岡本かの子の書く少女を好きなのは、彼女たちがその狭い身体の中で真剣に烈しくものを考え、思い、感じているからです。ただ独りきりで、こわいくらい世界を自分や周りの人々を見凝めているからです。それ故に彼女たちは、感じとるものが多過ぎていかにも重たそうに何かを抱え込み、危うい足取りで歩くように見えます。それでも、どんなに危うく見えても彼女たちは独りで歩く。その歩き方、毅然として孤独な厳しさが好きです。彼女たちが抱えている重たそうな何か、それこそが彼女たちを貴重にしているのでしょう。

 

楽しいことを本当に楽しむためには、訳もなく嬉しいことを喜ぶためには、その瞬間に立ち会うまでにどれだけの陰影を見詰めなければならないのかと思いを馳せれば、無限に途方もない切なさに至ります。同じように、哀しみを本当に哀しむためにも光を浴び、溺れるほど笑うことが必要なのかもしれません。存在以前の原始的な意味からはみ出た予感や衝動や欲求にも怯えながら手を広げ打たれてみなければ分からないものもあるでしょう。

 

岡本かの子の書く少女たちには生きていること、そのものの明るさと痛切を感じます。時代を隔てた今も彼女たちの力強く呼吸するたびに揺れる肩が見えます。

 

 

 

 

また本の中の少女たちについて書きたいです。

 

 

 

 

 

それでは皆さん、どうぞご無事で。

  

 

またね。