冬の一角獣

真城六月ブログ

噛むこと噛まれること

どんどん暑くなってきました。

雨上がりなどは特に緑の匂いが濃くなりました。


夏の前には梅雨があります。

たくさん雨が降って、部屋にいると沈没船の中にいるような気持ちで眠る夜があるかもしれません。それはきっとちょっと素敵な夜でしょう。



最近読み返したものについて少し書きます。


ゴッホの手紙』エミル・ベルナール編、硲 伊之助訳(上中下、全三冊)


模倣者はまねようとする才能の幻影を追うことにあせって、その欠点だけを引出して特長を台無しにする。次第に彼等は芸術作品の長所を剥ぎ取りその欠陥だけを露わす。かくて功を急ぎ飽くことをしらない利益追求から、われわれは、魅力的な調和さえも毀してしまう。






 だが君は、感じさせたいものをはっきり言い表わしてはいないようだ。自信がまるでない、こういう虚無感は美や善と離反するものなんだ。そんな心がけでは、われわれとはまるで関係のない物質生活の魅力のために、主観と客観の区別さえ見分けがつかなくなるほど永久に騙されてしまうかも知れない。われわれは間抜けでも希望を捨てないのがとりえだ。





今回は上巻からのみ引用しました。

読みながら自分のことや周りの人々のことや一方的に好きな方のことなどを思いました。わたしはいつも愚かで過ちばかり増えてゆきます。行き着いたのは、それでも心寄せるものに生かされているのだということです。


書きたい手紙を書かずにいるのをやめたいなと思いました。黙っていたい気持ちを抱きながら自由でありたいです。


親しい人からは度々、甘え下手で弱みをさらけ出せず、可愛げがなく、殻が固く、取りつく島がないと指摘されることの多いわたしですが、実はとんでもない噛みつき人間であることをいつまでも隠すつもりも根気もなく、親しくなると噛んでしまうので好きな人に悪いという思いが常にあります。

噛まれないと淋しいと言われるときは有難く嬉しいものです。わたしも好きな人達に時々は噛まれたいです。

なんの話をしているのか分からなくなりました。

分からなくなりながら先へ進みます。


本を読むことは知らないことを知る機会を与えてくれるのと同時に知っていることをひっくり返す瞬間ももたらします。わたしは、どうもひっくり返されることやひっくり返すことが楽しいみたいです。


本の内側、外側、言葉の文章の表と裏。何度も読みたくなる本ばかりそばにあります。『ゴッホの手紙』もそういう本です。




またね。