冬の一角獣

真城六月ブログ

ある別離 【創作】

彼女は犬を得て、その犬を好きになり、その犬を失った話をした。

彼女は小さな頃に小さな犬をもらったのだと言った。薄い茶色で頑丈そうに丸く、よく跳ね、よく笑う犬だったという。彼女はその犬と毎日話し、毎日一緒に遊んだ。半年ほど彼女はその犬と暮らしたのだそうだ。

話しながら前髪を右手で掴み上げ、額を見せて「その犬を追いかけて、転んだ時に出来た傷がほら、まだ痕になって残っているの。ここ、へこんでいるでしょう」と微かな喜びを隠しもしなかった。確かに彼女の額にはささやかな窪みがあった。言われなければ気付かぬ程度の傷痕はまるで秘密の宝物を見せるときのような扱われ方でわたしの目に触れたのだった。

彼女が小学校に行っている間に彼女の家でどんなことがあったのか。彼女には本当のところ分からないらしい。彼女の親はただ詫びて、彼女を慰めたのであったろう。

犬はどうしてかいなくなってしまったという。逃げたのか逃したのか、いずれにせよ何が理由で走り去って行ってしまったか誰も説明出来なかったのだそうだ。驚いたのかしら。なにに何故驚いたのかしら。なにか怖かったのかしら。何処まで行ってしまったろう。たった一匹きりで。戻りたかったかしら。帰ろうとしたかな。悲しかったかしら。どれほど。とめどなく彼女は話した。

家中が暗くなり、朝も夜も皆で探し、結局犬は見つからなかったそうだ。犬は彼女に帰らなかった。帰れなかった。その理由を彼女は百も思い、可愛かったから誰かに連れて行かれたのだと決めたのだと言った。可愛かったから。大事にされただろう。小さな彼女はそう思い、毎日を暮らしていくことができたと話した。

犬がいなくなってから尋ね回った近所の家で、あの日に犬を見たと言う人がいたの。凄い速さで走って来たから、道の向こうでよく見たら、うちの犬だって分かったって。どうして誰とも一緒じゃないんだろうって不思議だったって。すぐに、捕まえなきゃいけないと思ってくれたらしいんだけど、もう遮断機が下りた踏切を越えて行ってしまったんだって。電車が行って、向こうが見えた時には何処にもいなかったって。探したくて、諦められなくて、其処へよく一人で行ったの。踏切が恨めしくて。あの音を聞きながら立っていると、今でも泣きそうになってくる。電車が行くと、向こうを探すの。自分のそばで死なせなかったからやっぱり今も死んでいないのよね。


彼女は犬を得て、その犬を好きになり、その犬を失った。