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冬の一角獣

真城六月ブログ

少女たちは本の中


本の中にいる好きな少女たちを集めてみます。



少女とは一体どんな存在だろうと振り返ってみました。自分も少女だったことがありましたが、もしも少女とはと問われたならば咄嗟にはっきりとは答えられないような気持ちがして、頼りないものです。そして行き着いたのは自分にとってそれはやはり本の中で出逢ったもののことを指すのだということでした。


本の中にいる魅力的な少女たちを長い間、心の中に棲まわせてきました。憧れ、共鳴し、惹かれる気持ちは今も変わりません。それどころか、歳を重ねるごとに彼女たちに生かされているという思いは深まります。

自分で自分を嫌いにならずに済むようにと導いてくれる彼女たちの引力は信じられないほど強いです。


それで良いの?それは汚いことだって知っているはずでしょ?約束したじゃない!


私はすでに彼女たちを遠く眩しく感じるのが自然だといえるほどには歳をとりましたが、彼女たちの幼さ、あどけなさを高みから見るような気には全くなれません。むしろ彼女たちの一途さや、敏感さ、常に鋭く予感し、抱いている畏れや、向こう見ずな振る舞いや、恥辱に耐えられない脆さや、誇りの高さにあるべき姿、ありたい姿を突きつけられているような気持ちでいます。(念のため付け加えますが、これらの少女だから許される特権的な態度をまさかそのまま行使しようなどとは考えていないだろうな。という方があれば、ご心配には及びません。とだけ申し上げておきます。今は内部の、根のことを語っています。お姉さんの、お母さんの、おばさんの中の少女、お婆さんの、おじさんの、おじいさんの中の少女、お兄さんの中の少女もあるということです。ネ、ダイジョーブデスヨ!)

彼女たちには「可愛い」だなどと気軽に形容するのには相応しくない激しさと真剣さがあります。純真や可憐やそういうことと同時に抜き差しならない白熱した気配があります。罪を罪だと知っているかのような様子もあります。命がけで少女である少女と本の中で出逢った時から、自分のあり方の根の部分に彼女たちを棲まわせ、また彼女たちに棲みつかれています。長い時間を貫いて彼女たちに支配されている部分がどうしてもあり、そのことを結局いつも愉しんでいます。



それでは、どうぞお付き合いください。



一人目は有名な少女の中でもお墨付きの有名人、アリスです。






 行列がアリスのまえにさしかかると、みなはたちどまって、アリスをながめました。女王がきびしい声で、
「これは何者か。」
といいました。ハートのジャックにたずねたのですが、ジャックは答えるかわりに、おじぎをしてほおをゆるめただけでした。
「おろか者。」
 女王はいらだたしげに首をふり、それから、アリスのほうへむきなおりました。
「そなたの名はなんと申す。」
「おそれながら、アリスと申します。女王さま。」
 アリスはひどく丁重に答え、ですが心のなかで、
「なあに、ぜんぶあわせたって、たかがトランプひと組じゃないの。こわがることなんかありゃしないわ。」
といいそえました。
「して、この者どもは?」
と、女王は、バラの木のまわりに平伏している三人の庭師を指さしました。女王がこんなことをきいたのは、おわかりですよ、ね、三人とも顔をふせていたからでした。トランプの背中のもようは、ひと組ぜんぶ同じですから、すき(スペード)をもった庭師なのか、こん棒(クラブ)をもった兵士なのか、ダイヤをかざった廷臣なのか、それともハート印の自分の子どもたちなのか、女王には見わけがつかなかったのです。
 アリスは、
「そんなことわかるもんですか。あたしの知ったことじゃありません。」
といい、いいながら、自分のどきょうにびっくりしました。
 女王は、怒りのあまりまっかになり、一瞬、野獣のような目でアリスをにらみつけましたが、すぐにかん高い声をはりあげました。
「この女の首を切れ。この女のーー」
「ばかなことをおっしゃい。」
 アリスも大声をあげてきっぱりといいかえし、すると女王はだまってしまいました。
 王さまは女王の腕に手をかけて、おずおずといいました。
「なあ、奥や。考えてもごらん。ほんの子どもじゃないか。」
 女王は腹だたしげに王さまから顔をそむけ、ジャックにむかって、
「この者どもをうらがえせ。」
といいました。ジャックは用心しいしい、かた足で三人をひっくりかえしました。
「立て。」
 女王が、大きな、かん高い声でいいました。三人の庭師はすぐさまはね起き、王さまや、女王や、王子たちや、そのほかだれかれの見さかいなく、やたらにおじぎをしてまわりました。
「やめぬか。目がまわる。」
 女王は、またかん高い声でさけび、それからバラの木のほうに顔をむけました。
「そなたたちは、ここでなにをしていた。」
「おそれながら、女王さま」と、二はたいそうかしこまって、かたほうのひざをつきました。「てまえどものいたしておりましたことはーー」
「うむ、わかったぞ」と、バラの様子をながめていた女王がいいました。「この者どもの首を切れ。」
 行列は、三人の兵士を、ふうんな庭師たちの処刑のためにあとにのこして、動きだしました。庭師たちはたすけてもらおうと、アリスのほうに走りよりました。アリスは、
「あんたたちの首を切らせるもんですか。」
といって、庭師たちを、そばにあった大きな植木ばちのなかにいれてやりました。三人の兵士は、一、二分のあいだ、あたりをさがしまわっていましたが、やがておとなしく、行列を追って行進してゆきました。


ふしぎの国のアリス』ルイス=キャロル作、芹生 一訳、偕成社文庫より。







二人目には愛読しているカポーティの短篇集『夜の樹』に収められている『誕生日の子どもたち』という作品から十歳のミス・ボビットを選びました。






ーーしかし、学校が始まるとまた面倒なことが起った。ミス・ボビットは学校に行くのはいやだといったのである。「馬鹿馬鹿しい」ある日、校長のコプランド氏が調査にやって来ると彼女はいった。「わたし、読み書きはできます。お金を勘定することだってできます。それを知っている人だってこの町には何人もいます。いいえ、コプランド先生、ちょっと考えて下さい。そうすればわたしたちにはどちらにもこんなことで時間やエネルギーを使うのは無駄だってわかります。結局、どちらの気力が最初にくじけるかということでしょう、先生のか、わたしのか。それに、わたしに何を教えて下さるんです? 先生たちがダンスのことを知っているというのなら、話は別ですが。でも、こんな事情でしたら、そうです、コプランド先生、こんな事情でしたら、このことはお互いに忘れた方がいいと思います」。コプランド氏も出来ればそうしたかった。しかし町のほかの人たちは、彼女にお仕置きをすべきだと考えた。ホレス・ディアズリイは「悲劇的状況」という題の文章を新聞に発表した。彼の意見では、小さな女の子が、ある理由から彼が合衆国憲法の一部と呼んでいるものに挑戦するとは、由々しきことだということだった。この記事は、「彼女は学校から逃げられるか?」という問いかけで結ばれていたが、彼女は、逃げきった。シスター・ロザルバもそうだった。ただ彼女のほうは黒人だったので、誰も気にしなかった。ビリイ・ボブは彼女たちのように幸運とはいえなかった。たしかに彼には学校は必要だったが、家にいたほうが彼にはいいことがあった。彼は最初の通信簿で最低のFを三つももらったが、これはちょっとした記録だった。しかし彼は頭のいい少年だった。ぼくは、彼はただミス・ボビットのいない学校ではどう時間をすごしたらいいのかわからなかっただけだと思う。彼女がそばにいないと、彼はいつも半分眠ったように見えた。彼はまたいつも喧嘩をしていた。目のまわりにあざが出来ていたり、唇が裂けていたり、足を引きずって歩いたりしていた。彼はそうした喧嘩のことは決して口にしなかったが、頭のいいミス・ボビットには喧嘩の理由がわかっていた。「あなたって可愛い人ね。わかっているわ、わたし。あなたに感謝してよ、ビリイ・ボブ。ただ、わたしのことで喧嘩したりしないで。いろんな人が私の悪口をいっているのはもちろん知ってるわ。でも、どうして私の悪口をいうか、わかる?ビリイ・ボブ。悪口って、一種のお世辞なのよ。あの人たちも心のなかでは、わたしがとても素晴らしいって思っているんだから」
 彼女のいうとおりだった。魅力のない人間には、誰もわざわざ悪口などいわないものだ。




新潮文庫『夜の樹』所収『誕生日の子どもたち』トルーマン・カポーティ著、川本三郎訳より。






三人目の阿字子は野溝七生子の『山梔』という作品の主人公です。野溝七生子は私にとって最も重要な作家の一人です。二十歳頃でしたが彼女の作品に出逢えて生きていて良かったと思ったのを憶えています。この『山梔』の阿字子ほど愛しく思える少女にはまだ出逢えていません。立風書房刊行の『野溝七生子作品集』に挟まれた「野溝七生子作品集・栞」には森銑三氏によるこんな文章があります。


ーーいつだつたか私は作者の野溝さんに向つて、阿字子はあのまゝ死んでしまふのですか、と聞いてみたことがある。野溝さんは平然として、死にはしません、こゝにかうして生きてゐます、といはれた。



それでは、ほんの少しですが『山梔』の中にいる阿字子を見てください。








 あんなに愛して、歩きまはつた砂丘の砂も、ずゐぶん永く、阿字子の蹠に触れることはなかつた。
 海を、阿字子は限りなく愛した。
 海は、何も彼もを残らず、知つてゐるのであつた。海は、阿字子の過去が積み上げて来た、凡ゆるものを、或時は幼児の寝息よりも静かに、唄ひ乍ら、或時は怒つた野獣よりも荒々しく咆え乍ら、その凡てを見戍つて来てゐるのであつた。海は、阿字子の忠実な友人であり、好き主人であり、また永久の恋人であつた。海だけは決して自分を裏ぎることなく、赤裸な自然の姿を不断に自分の魂に示して見せて呉れる。海を見る時阿字子は初めて、真実の自分を見ることが能きるやうな気がした。
 それは、如何に、汚されない自然の、純潔な姿であつたか。罪の意識すらない無垢の清らかな瞳を上げて、凡ゆるものに驚かうとして、あたりを見まはしてゐるその姿であつた。
「どうすれば、取り返されるであろうか。」
 今更のやうに、阿字子は、心の中で呟いたのであつた。

(以下、だいぶ後の頁より)



 阿字子は、投げ出した長い脚をじつと眺めてゐた。それから腕を出して、撫でまはした。何だか少し太くなつたやうな気がして、矢張りうれしい。
 阿字子の中には、たくさんな気持ちが分裂して、修道院を考へたり希臘を夢みたり、マリアのマントの長い裳に包まれたり、王女になりたいと思つたり、花壇と果樹園との真中に、小屋を作つて住んで見たいと思つたり、様様な想念が湧いて来た。どうなつて行つてもそれが矢張りほんとの阿字子だと思つて。
 かうして永い時間が経つてしまつた。
 ふと、さくさくと、汀の濡れ砂を踏む音がきこえた。阿字子はしかし、それが誰であらうとも、決して見ることはしないだらうと思つてその儘じつとしてゐた。
 けれどもさうしてゐるうちに自分の全身が陽炎に包まれてでもゐるかのやうに熱くなつて来た時、誰かが阿字子の横に来て、黙つて立ち止まつた。阿字子の眼はその人の、小倉の袴の裾の辺をちらちらして、どうしても、その顔を仰ぐことが能きなかつた。時がずんずん立つて行くのに、その人はいつまでも黙つてゐた。阿字子もいつまでもその態度を変へなかつた。「何と云へば好いのだらう。何と云へば好いのだらう。」と思ひ続けて、その一つのことよりほかは何ものも彼女の頭脳を占領してはゐなかつた。かうして、この儘、この儘で、上の崖が崩れ落ちて、自分とその人とを埋めてしまつて呉れないかと、そんなふうに考へた時、阿字子は何故か涙が止まらなかつた。彼女は顔をそむけて片々の手で、眼の上を押へて、いつまでもさうしてゐた。


立風書房野溝七生子作品集』所収『山梔』より。








本の中にいる好きな少女を集めると書きましたが、ここまでに三人しか取り上げていません。まだまだ素敵な少女はいるのですが、一人一人紹介していたらきりがなさそうです。一度に全ては出来そうもありませんので、今後また少しずつまとめていけたらと思います。


今回取り上げられなかったけれど特別な少女は例えば、大島弓子の作品に何人もいます。それからサリンジャーのフラニーやフィービーやエズメは特別の上にも特別に大好きですし、野溝七生子の作品には取り上げた『山梔』の阿字子の他にも忘れられない少女があります。それはソヤ、沙子、クノ、星子などです。一人一人がそれぞれにどうしようもなく少女です。彼女たちをいつも息を詰めて見守りながら、頁を捲るときのよろこびと胸の痛さをありがたくこれからも大切にしていくのだと思っています。



今回もとても楽しかったです。



お付き合いくださってどうもありがとうございました。


またね。