読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

冬の一角獣

真城六月ブログ

オパールひきがえるマルテ

十月です。

空気がひんやりとしてきました。
最近は外に一歩出るたび、ガッツポーズしたくなります。

好きな季節がもう目の前という感じなのです。

よしよし、良いぞ。秋の空、北風。夜空の星はぐんぐんはっきりしていきます。

暖かくて肌寒い秋の次は清潔な冬がきます。

今は早く冷たい風に頬を痛くしたくてうずうずしています。こんなことを言いつつ、それでいて寒い寒い日には毛布にくるまっていたいです。

十月に入ってから読んだものについて少し書いておきます。いつも通り新しくない本しか読んでいません。


ある晩、十月の誕生石って何だったろうと思い、調べるとオパールでした。オパールについて書いてあるものを急いで探しましたら写真に写ったオパールのきれいなこと。実物は子供の頃、母の宝石箱に入っていたペンダントを見たのが初めてでした。子供心に鮮やかなその石を、なにこれ嘘みたい。と驚いて見つめたのを憶えています。そんなことも思いつつ、開いた本にはこうありました。




 オパールが十月の誕生石となっているのは、日光をうけて赤、青、緑ときらきら光る様子から、変わりやすい秋の空を連想したというのでしょうか。もっとも、秋の空が変わりやすいというのは、日本の気象条件のことなのでしょうが。
 オパールという石はロマンチックな感じがしますが、悲しみの石だといって嫌う人もいるようです。もちろんそれは外国での話なのですが、スコットの湖上の美人か何かの小説から生れたジンクスだということです。
(中略)
 オパールはタンパク石といって、水にとけた珪酸が沈でんしてできたものなのです。
(中略)
 珪酸がどんな作用をうけるとタンパク石になったり、そして美しいオパール(貴タンパク石)になるのかはよく分かりません。細かい内部の粒子で光が干渉して虹色を出すのですが、この色変わりをする輝きを、ファイア(火)とよんでいます。その粒子の具合で、おなじくオパールであっても、さまざまの色が現れてきます。
 オーストラリアの系統のものは青と緑が主体です。赤からオレンジのは火タンパク石ともよばれていますが、ふつうにはメキシコ・オパールといわれています。メキシコが主産地だからです。
 また、一見透明のようで美しい色を現すデリケートなファイアがありますし、濃い緑と青とで、玉虫のような輝きをしているのはブラック・オパールとよばれて最高級品とされています。


『宝石』崎川範行著、保育社刊より。





なるほど。オパールの中で最も高級とされるものは、深緑と深い青のブラック・オパールだということが分かりました。分かって私は、自分が一番高級なものを特に好んでいなかったことも同時に知り、嬉しいような少し情けないような気分になりました。ブラック・オパールやメキシコ・オパールはもちろん美しいと思いますが、私は靄がかかったような乳白色に虹が砕け散って閉じ込められた美味しそうなオパールが好きです。薄い色が良いです。自分の誕生石に色味が少し似ているからかもしれません。十月の空を見上げながら、オパールだなあ。と思う楽しみを今年見つけました。




オパールで楽しくなった後は、大好きな児童書を読み返しました。百度読んだ本で、これからも読み続ける本です。小学校低学年の頃、学校の図書室で読み、何度も借り出し、ついに買ってもらった『火ようびのごちそうはひきがえる』という本です。何故この挿絵入りのからし色のファニーな児童書が特別なのかいまだに確かな理由を見つけていません。ただ、どうしようもなく好きです。内容も残さず頭にあるので、もう表紙をちらと見るだけでしあわせになります。気分が落ち着いて、これがあれば大丈夫だと思ったりもします。この世に好きな人があり、ものごとがあり、そういうものと関わることができ、それは嬉しいことだというあたりまえの認識を取り戻せる本です。駄目だ。戻りたい。何か読もう。頭に入ってこない!という非常時に、どうやってここへ来たか振り返っても道が暗い時には『火ようびのごちそうはひきがえる』を捲ります。少しだけ引きます。





 みみずくは、ウォートンがサンドイッチを食べている間中、じっとウォートンを見つめていました。ウォートンが食後のデザートを食べている間も、じっと見つめていました。
 ウォートンがさいごの一切れをのみこむと、みみずくはいいました。「こんばんもお茶をのむかね?」
「ええ、たぶん」と、ウォートンは答えました。
「たぶん、わしもな。」みみずくが小さな声でいいました。
 その晩もひきがえるとみみずくはいっしょにお茶をのみました。そして、夜がふけるまでおしゃべりをしました。



『火ようびのごちそうはひきがえる』ラッセル・E・エリクソン作、ローレンス・D・フィオリ画、佐藤涼子訳、評論社刊より。





『火ようびのごちそうはひきがえる』で生えかけていたツノを引っ込めた後はお茶を飲み、物語の中のひきがえるやみみずくの真似をして遊びます。遊んで元気になり、次に読んだのはリルケの『マルテの手記』です。これもたいへんな本です。一行一行殺し文句のように感じる瞬間が読んでいて何度もやってきます。今回は、光文社古典新訳文庫のものを読みました。読みやすくなったぶん、自分で汲み取り、飲み込む力が要ると感じた新訳でした。躓いて、引っかかって読みました。つんのめるたびに嬉しくてたまらなかったです。マルテの言うように、思い出がもはや自分自身と区別がつかなくなって初めて、そこから出発するのならば…と思いを巡らせています。



まだまだ何冊もの本と十月を暮らしますが、今回はここまでにしておきます。

お付き合いどうもありがとうございました。


あっ!
オパールを見ると思い浮かぶものを一つ忘れていました。水たまりに浮かぶガソリンです。


それでは


どうぞご無事にお元気で。また今度。