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冬の一角獣

真城六月ブログ

彼女のプール誰かのピアノ線 【創作】

こんな話を聞いていた。

何年も前から一つのシーンを繰り返し思い描いているという女性の話だ。

高い飛び込み台のあるプールです。私の他には誰もいません。静まり返ったプールで飛び込み台の上から私は目線だけ下げてプールの水面を凝視めています。長く立ち尽くして。私は私に無抵抗です。水着など着ていません。アイスブルーのワンピースでそこにいます。そうして、踏切板のところから後退りして離れ、今度は後ろ向きになって踏切板へゆっくりと戻ります。私は背中から身体を投げ出します。勢いよく跳ぶのではありません。ベッドに身を預けるようにゆったりと落ちます。落下していく途中で両腕を垂直に上げます。その時、身体は少し弓なりです。落下は安らかなもので、私は目を閉じて、ある言葉を発音します。それは、このことを考える度に違います。これを考える時々でいつも落下の際に口走る言葉だけ変わるのです。それは例えば「さようなら」であったり「大嫌い」であったり「ありがとう」であったりと様々です。やがて背中が水面にぶつかり、私は落ちていた格好のまま、あまり派手な音も立てずに沈みます。水に入っても落ちていた時のように無抵抗です。水面の波紋もすぐに消えます。それだけです。


話をそこで区切ると、女性は私の表情を探るような目をした。私はどんな表情をしていただろう。女性は疲れたように付け加えた。

分からないでしょう?それでこそ安心出来ます。私だけのものなんですから。

そういう話を聞いた。プールに落下する話だ。そのことを夢想する話だ。

私は女性にお返しのつもりでもなかったが、街じゅう至る所にピアノ線が張り巡らされていると思い込んで慎重に歩くバレエダンサーの話をして聞かせた。プールに落下する女性は黙って聞いてくれた。

ちっとも打ち解けずに二杯ずつたっぷりと珈琲を飲んだ。

女性と別れて歩きながらピアノ線を気にせずいるのは難しいだろう。プールに落下せずにいるのも難しいだろうと思った。

背後には踏切板。目前にはピアノ線。上空には月。足の下には硬いアスファルト。取り囲まれているのなら難しいけれど初めての舞踏会にしては私達、よく踊れているものだ。


ずっと踊らせている身体は勇ましく深々と空気を飲み込んだ。