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冬の一角獣

真城六月ブログ

異邦人(七人目)【創作】

身を乗り出した時の頬に触れた鉄柵の冷たさが。

二月でした。


お兄ちゃんが生きているならもうおじさんですね。どんなおじさんになっているでしょう。想像もつきません。会っても絶対にお互い分からないでしょう。あなたはおじさんに、私は大人になっているのですから。


お兄ちゃんの家はパン屋さんでした。パンはもちろんケーキやお菓子も評判で、いつも沢山のお客さんで賑わう大きなお店でした。
お兄ちゃんのお父さんとお母さんは二人で毎日元気に仕事していました。

後で、私は私のママに聞いてお兄ちゃんのことを色々と知りました。

お兄ちゃんと会っていた頃、私は小学生でお兄ちゃんは大学生でした。お兄ちゃんは一人息子でご両親にそれは可愛がられていたのだそうです。


ママと私がパン屋さんに行くと、ママとお兄ちゃんのお母さんがいつも長いお喋りをしました。

私はパン屋さんの隅っこでいつもぼんやり立っていました。そして、時々お店のお手伝いをしているお兄ちゃんとお話しするようになりました。

お兄ちゃんはよく私に「なんで君は子供なのにいつもそんなにシリアスなの?」と言っていました。私はシリアスという言葉を知らなかったので、シリアルだと勘違いして「この人はなんで私のことをコーンフレークって言うんだろう」と思っていました。

私はいつもいろいろなことを考えていました。何をどんな風に考えていたのかは忘れてしまいましたが、いつも必要の無いことを思いつめていた気がします。お兄ちゃんはそんな私を変な子供だと思っていたでしょう。「シリアスでナーバスな子」と繰り返し可笑しそうに言っていました。それでも私たちはだんだん打ち解けていきました。

ある時、お兄ちゃんは誰にも聞こえないように私に「俺はパン屋にはならない」と言いました。「じゃあ、なにになるの?」と聞くと「冒険家」と言っていました。

私はママに、冒険家ってどうやってなるの?と家で聞きました。ママは教えてくれませんでした。私もお兄ちゃんが冒険家になりたがっていることは黙っていました。

そうこうしているうちに、パン屋さんの様子が変わっていきました。お店に行っても、お休みします。というお知らせの紙がドアに貼り付けられていることが多くなりました。オープンしてもすぐに閉めたり、午後遅くなってからお店を開けたり、パンの棚ががらがらに空いていたりするようになりました。

常連さんや近所の人たちはみんな、怒ったり、怪しんだりしてあまりお店に行かなくなったようでした。ママと私も行かなくなりました。お兄ちゃんに会わない日がずっと続きました。

しばらく経って、学校帰りにお兄ちゃんとばったり会いました。
近くの公園で二人でぼんやりしました。お兄ちゃんはとても静かだったのを覚えています。何を話したのか、二人ともあまり話さなかったのではないでしょうか。
お兄ちゃんは公園の林に続くところを区切ったフェンスに肘をかけて向こうを見ていました。
私はその様子を見上げて立っていたのだと思います。冬のとても寒い日だったので、長くはそうしていませんでした。最後に何を言って別れたかももう思い出せません。


それからまた時は流れ、パン屋さんは無くなって、その場所はコンビニエンスストアになりました。パン屋さんの家族もどこかへ行ってしまったようでした。


私は中学生になり、高校生になって、パン屋さんのことやお兄ちゃんのことを思い出さなくなりました。

ある日、ママが唐突に話をしてくれました。
お兄ちゃんのお父さんが失敗し、パン屋さんを閉めて逃げたこと。お母さんとは離婚したこと。それからお兄ちゃんが行方知れずになったこと。
それでも時々、私の家にお兄ちゃんが電話をかけてきていたことを私は知りました。

「今、名古屋にいます」「今は仙台です」
かけてくる度にお兄ちゃんは居場所が変わっているようだったとママは言いました。毎回必ず「お嬢さんは元気ですか?大きくなったでしょう」と私のことを聞いてくれたそうです。ママはその都度教えてくれなかったことを謝っていました。

ある時から電話は全くかかってこなくなったそうです。それでも電話が鳴ると今でもほんの少しだけお兄ちゃんかもしれないと思うそうです。

私は大人になってしまったので、お兄ちゃんが冒険家になって、彼方此方何処へでも行っていたのではないということが分かります。

公園とフェンスはあの頃のままなので、あの時お兄ちゃんがしていたように肘をかけて向こうを見ることが私にもできました。

見ても
見ても
黒い樹々が騒めいているだけでした。


身を乗り出した時の頬に触れた鉄柵の冷たさは二月でした。