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冬の一角獣

真城六月ブログ

童話を読む

童話を読んでいて頁を捲る自分の指先が目に入る時、マニキュアに驚くことがあります。さっきまで気に入っていた綺麗な色の爪を恥ずかしい代物のように感じることがあります。そして大人は子供のようにありのままでは美しくないので身を飾るのかもしれないと思ったりします。

 
今日は本との出会いと好きな童話について書きます。
 
物心つく前から母は熱心に絵本を読み聞かせてくれました。当然意味は理解できていませんでしたが、異様なほど熱心に私は聞き入り、頁を捲った先に描かれた絵を見ると覚えた文章をたどたどしく喋ったそうです。そんな幼児は少し気味が悪いと思うのですが、両親は喜んでいたようです。やがて外を歩くようになると書店を見ればよちよち入って行ったそうです。もしかしたらその頃の方が原始的な歓びに衝き動かされて本から沢山のものを受け取ることを自然に出来ていたのではないかと思えます。
そしてまたしばらく経ち、小学校に上がる頃になると自分で選んだ本を自分で読むようになりました。
図書室には低学年向けの棚の他に中学年から高学年向けの本が背の高い棚にびっしりと収められていました。私はいつも薄く絵の多い本を手に取りながら、高学年向けの棚にある難しそうな本に強い憧れを持っていました。ギリシア神話を背伸びして覗いては自分がなにも分らないことに苛立っていました。通っていたのがミッションスクールだったために聖書やそれに関する本も豊富な図書室でした。そこで読んだたくさんの本の内容よりも今はあの部屋全体の懐かしいイメージを思い起こす時の気分の良い思い出が大事なもののように思えます。なんて安心できる好きな図書室だったことでしょう。その場所で読書するしあわせを覚えたのかもしれません。
 
好きな童話について書くことを忘れていました。子供の頃に読んだたくさんの童話には大人になった今も読み返したくなるものがあります。そして読むうちに新たに気づくことが多かったりもして、ああ、これはどちらかといえば大人が読むべきかもしれない。などと思えたりするものもあります。そんな風に思えるのが新美南吉宮沢賢治小川未明の作品です。
新美南吉は『ごん狐』や『手袋を買いに』で有名ですが、私は『小さい太郎の悲しみ』や『花をうめる』などの作品が特に好きです。新美南吉は小さな子供であっても悲しみを知ることができることや、悲しいことをきちんと悲しむことの大切さを柔らかく差し出す作家だと思います。悲しいことは大いに悲しむべきだろうと私も思います。
 
宮沢賢治は国語の教科書で出逢う人が多い作家でしょう。私もそうでした。学校で知った後に童話集や『春と修羅』などを読みました。あまりにも有名な『銀河鉄道の夜』は勿論大好きです。他には『二十六夜』が特に好きです。宮沢賢治の作品にはどう表現すれば良いかわからないような独特の透明感があり、その透明感が時々怖いほどで味わいが奇妙に思えたりもします。とてもこわい魅力を持った作家だと思います。
 
小川未明は書店で初めて『赤い蝋燭と人魚』を見たときの衝撃を未だに忘れられない作家です。なんて綺麗な名前の作家だろうとまず彼の名前のうつくしさに打たれ、タイトルの『赤い蝋燭と人魚』という魅惑的な響きにとても惹かれたのを憶えています。読んでうつくしいのは名前だけではないことを知りました。綺麗な名前をはるかに超えて彼の作品が貴いことを知りました。人を凝視した人の書いた童話だと思います。
 
ほんとうはもっと好きな童話やそれについて書きたいことは尽きませんが長くなりすぎました。またいつかの機会に書くことにします。そういえばもう十月ですね。日が短くなりました。気付けば宵の口。逢魔時を愉しむことを忘れずにいたいものです。