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冬の一角獣

真城六月ブログ

異邦人(二人目)【創作】

大げさで滑稽な妹の手紙

なんで自分の心は綺麗じゃないのかって思いました。どうして卑しく汚れたんだろうって考えました。自分でも何を言っているのか分かりません。独りで、これを書きながら私は嘆いています。自分を憐れんでこのまま泣いたところで、惨めで情けないけれど恥じることなんてありません。誰もいないんですから。私がこんなどうしようもないことで悩むのは恋人とお別れしたせいです。私はもう大人です。それなのに、己の心の弱さに今更に哀しみを感じてしまって辛く、なんて幼稚なんでしょう。消えてしまいたいです。まるで思春期です。悲しいです。どうにもなりません。あの人はもう、私を愛してくれないそうです。僕はやっぱり心の綺麗な女が好きだな。なんて言って、私を嘲笑した挙句、捨てたんです。私は息も絶え絶えに問いました。心が綺麗ってなんですか?と。するとあの人はため息混じりにこう言ったんです。君みたいに歪んでいなくて、真っ直ぐで純情な素直な女が良いんだ。私は吃りつつ尚も問いました。あの、私はそんなに汚れているの?どこが?あの、歪んでいるって何が?と。あの人は渋い表情をわざと作ってこんな風に言い放ちました。僕は笑顔の可愛い陽気な娘が好きだって解ったのさ。君といると将来、胃をやられそうだ。四年も付き合って疲れた。君は人を癒さない。無意味に緊張を強いる。僕は幸せになりたいんだ。さよなら。こう言うと、あの人は去って行きました。綺麗な背中でした。私はあの人の肩だとか襟足だとか後ろ姿が好きでした。いつも後ろから見つめて歩いたものでした。だけどもう、ついていってはいけないんです。私はあの人の背中が見えなくなるまで凝視していました。涙って熱いなあと思いました。通行人が興味深げに私を横目に通り過ぎて行きました。皆、大嫌いだと思いました。けれど、こんな風に罪なき他人を憎んだりするから私の心は醜いのだとすぐに気づいてもう、何もかもが嫌でした。私は私に一番に不満でした。どれくらいそうして嗚咽号泣しながら往来に立ち尽くしていたんでしょう。やがて私はぴたりと泣き止み、高笑い。やめた!と叫ぶとスキップしながら歩き出しました。夜の街の灯りが美しく、非常に目に沁みました。そうしてしばらく妙に浮き浮きした気分で私は街路を彷徨い、時には駆けたりしました。馬鹿なんです。足が何故かもつれて、私は転びました。頬をアスファルトに打ちつけると、痛みは脳に染み渡り、急にしんとした透明な気持ちになりました。深い悲しみが胸を突き抜けていきました。私は自分が大人だということを思いだして絶望しました。美しく見えた街灯りは途端に色褪せていきました。私は自分の心を見つめてみました。果たしてやっぱりこの心は汚いのかと確認してみたんです。浅ましいほど地獄行きの心だと、やはりそうとしか思えませんでした。その時にはそれが唯一の真実であるように思えたんです。切れた頬に夜風が涼しく、心地良く、こんな自分でも生かされているという事実にひどく恐縮しました。けれど、次々に疲労した脳に嫌なことが浮かび上がって、懸命に立ち上がろうとする私を邪魔しました。私は私に阻まれて動けなかったんです。まず私の胸を掠めたのは先月の恋人の誕生日に贈った腕時計の支払いが、まだ残っていることでした。お兄ちゃんもお父さんも一生しないような時計でした。私はお昼を缶のコーンスープのみにして、美容院に通うのをやめ、ピーちゃんの餌のランクを下げて、それを支払っていくつもりだったんです。時計はあの人の腕でびかびか光っていました。とても似合っていて、私は満足でした。そのことが、私の中で痛みを増して苦しみに変わっていきました。私は疲れていました。私はお金が無く、心は汚く、恋人に人間性を否定され、路に倒れて頬を切り、この世の無常を痛感していました。その時、目の前に猫が現れました。痩せて、目脂が凄い猫でした。無意識にその生きものに手を伸ばし、触れる刹那、猫はくるりと尾を向けて去って行ってしまいました。憐憫を拒む眼差しを私にぶっつけて。ぐさり。獣は良いなと思いました。私は自分が人間であることが疎ましかったんです。私は立ち上がり、やたら喉が渇くので、喫茶店に入りたく歩きだしました。どんなに歩いても、入れるところは一軒も無く、どこも閉店しています。五軒目が駄目だった時、遂に諦めて自販機でぶどうジュースを買い、立ち止まって飲みました。唇の端から首に、鎖骨に伝う飲み物の冷たさに私は震えました。ふと、路上を見ると誰かが吐き捨てたガムの傍に白い、人骨に実によく似た木の棒らしき物体が落ちていました。いずれ、遅かれ早かれ、人は皆こうなるのだと思いました。戯れにその棒を足で砕こうとして、あまりの硬さに驚きました。その棒は丈夫でした。私はそれを拾い、手に持って歩きました。歩きながら考えたことは下らないことです。私はあの人に汚いと言われたので汚くなったのではないかということです。自分を汚く思うのはあの人がそう言ったからだと気づきました。私は自分の心が汚いか知りません。綺麗ではないと思いますが、私を大事にしてくれるお兄ちゃんたちのために私はあの人にあんな風に言われてはいけなかったのでした。ごめんなさい。恥ずかしいです。というようなことを考え、家に帰ろうと思いました。帰って、ピーちゃんに餌をあげようと思いました。というのが、昨日の話。それを回想しながら、まだ少し嘆いているのが今なんです。やっぱり自分でも何を言っているのか分かりません。片付けなければ、そのうちに鍋の煮物は腐るでしょう。さあ、食べて。お父様、お母様、お兄様。私は精一杯お役に立ちます。なんてね。皆によろしく。私は部屋でたっぷり眠ります。お腹をうんと空かせて起きようと思います。