冬の一角獣

真城六月ブログ

うたつぐみ

 

 

窓を開けると、聞こえる歌。忙しい日、塞ぐ日には能天気なその声がしばしば神経を逆撫でた。

 

 

その歌が聞こえない。

 

 

歌っている人は近所の婦人なのだった。小柄で控えめな様子の人なのだった。すれ違う際には、ほとんど聞き取れない声で挨拶してくれる。

 

 

その人がこの人というのに気づいた日の戸惑い。洗濯物を干しながら、彼女は歌っていた。見た目と歌にかなりのギャップがあった。彼女は周りを失くして歌っていた。

 


来る日も来る日も歌は歌われた。

 


大きな家から外にいる人にもはっきりと聞こえる彼女の歌は、明朗に発声され、音は素直に丁寧にとられ、抑揚は豊かだ。彼女は一年中同じ歌を歌っていた。

 


ここに幸あり青い空」


上手なのである。古い古い歌を心を込めて歌うのである。毎日この歌なのである。彼女にとって特別な歌なのだ。その歌は彼女の生活である。

 

 

時々、自分は聞き入った。
時々、聞いていられず窓を閉めた。

時々、弱々しく哀しげにそれは歌われ、時々、ドラマティックに歌い上げられ、しかし大抵は歓びに満ちた情感をもって、あかるくそれは歌われた。

 

 

 

 

その歌は彼女の日々である。彼女の営みである。彼女はその歌である。

 

 

 

「嵐も吹けば 雨も降る」

 

 


時々、無性にその歌が聞きたくなる。それは彼女の声でなければならない。ウタツグミは無名である。うるさく思っていたものを恋しく求め暮らす。勝手なことである。

 

 


「命のかぎり呼びかける」
「こだまの果に待つは誰」

 

 


涙を流すほどには親しくない。花火が終わり、祭が過ぎても日々は続く。せめてと自分で口ずさむ。誰にも知られぬように彼女をほんの欠片継ぐつもり。勝手なことである。