眠られぬ夜のオペラ
あなたがわたしを好きなのは、わたしが我慢をたくさんしているからよ。無理をして無理をして無理をしているわたしをあなたはやっと少し好きでいてくれる。軽んじながら。疎ましく感じながら。
どうしてこんなだろう。書いた詩人がいたけれど、ごく低いレベルで誰もがよく思い馳せる言葉。どうしてこんなだろう。彼も自分を労わるのが下手だったのかしら。低いレベルで愚かな愛が人生のすべて。
運動会の終わった誰もいない夜の校庭であなたを周回遅れにして全力疾走する。
また間に合わなかったね。いつも間に合わないね。
サカナを時々、とてもきらい。サカナをきらいな時よりもわたしが自分を恐れるのは、わたしがサカナに無関心でいる時。冷たい目でサカナを見る時。無感情にサカナとの距離をとっている時。無造作にサカナとのこれまでを無かったことに出来る。いつでもわたしにはそれが出来ると確信する時。
明日からまるで見知らぬ人同士のように、顔色ひとつ変えずにすれ違うことが出来る。全く苦痛を感じずに。何故なら、それを、そういう意味不明な拒絶や別れをありきたりなものだと知っているから。当たり前に全ては無かったことになる。無かったことのような態度をする人々の中で、わたしも自然に無理矢理にそう出来るようになりました。
訳のわからない不条理は少しずつ存在に溜まり、時々は混乱を制御し続けられない気もするけれど、危うく瀬戸際で踏み止まりながら皆の真似をしている。何のためにそうするのか。破綻とか疲労とかそんなようなことへの恐れのためだろうか。ある人には華やかで賑やかだと評されるこの舞台は年中うるさ過ぎるし、観客席も劣らず騒がしい。下手だから、芝居が間に合わない時には黙っている。
サカナがわたしを好ましく思っているのを知っているから、いつも何度も尋ねる。
「わたしのことが好き?」
サカナは即座に「嫌い」と答えてくれる。
まだ無視はされない。何故まだ無視されないかは分からない。わたしはサカナを好きだろうか。分からないけれど、サカナの好きな超面白くない映画を一人の時によく観る。サカナはどこにいるのだろう。
サカナはさびしいのだと思う。さびしくなくなれば良いと思う。さびしくなくなったら、わたしを不要だと気づけると思う。はやく。違う。もしかしたらさびしいのはわたしかもしれない。自分のさびしさをサカナに視ているのかも。何故サカナになのかしら。他の人もみんなさびしそうなのに。サカナって頭がおかしいのかしら。わたしがおかしいのかな。
サカナがクレープを食べに行こうと話す時、わたしがクレープを食べたいのは何故だろう。サカナはわたしをお母さんだと思っているだろうか。わたしはサカナをお母さんにしたいかな。サカナは赤ちゃんのわたしを夢に見たと言った。
長く離れていて、やっと逢えたというのに、またお別れするなんてあんまりだ。
流れていくものが、時がサカナの肩を掠めている。それをみている。わたしだって、みられているのに。涙が出てしまう。遮るものが無いからクッションを抱え、意味不明さに耐えようとコーヒーを淹れる。
言葉は電流だから、言葉で思いを組み立てると、いつも痺れる。使いものにならない言葉なんてありはしない。制限は無い。こわいよね。
サカナとオペラ。オペラとサカナ。無と無。さかさにしても無と無。
ビリビリビリビリビリビリビリビリ
接続不良で焦げた痕が生きたすべて。