持ちもの
むかし一度行ったきりの家にあった小さな置物がどうしてか長い間、自分の内に残っていたのでした。
それが置かれていたテーブルに一緒に並んでいたものなどは滲み切った背景のように遠く、何ひとつはっきりとは憶えていないのに小さな女の人の立像だけいつも目の中にありました。
久々にお邪魔すると模様替えが繰り返された部屋の隅にはもうあのテーブルごとありませんでした。
ふしぎな力のある物体はもう無くて、わたしはさり気なくあちこちを目で探しました。挨拶をしながら、出されたお茶を頂きながら、不安な鳥のように首を動かしていました。
そうして遂に、どうしても我慢出来なくなって尋ねると、そんなものは最初から無かったと返されました。
知らないって、無かったって、在ったのに!
だけど歳月。日々の暮らしの移り変わり。分かっていても、もう一度見たかったというのはあまりにも勝手な話。
帰りには、振り返り見る家にそれでもいつかの宝物がまだ隠されているようで、さようならという言葉を発音するのが難しくなったのでした。
思い込みだよ。勘違いだよ。最初はそう諭してきてくれた人々もあまりにも頑ななわたしの様子に段々と何も言わなくなりました。やさしい人々は、訳の分からないこだわりに慣れていて、今ではもう誰も「それがどうしたの?」とは言わないのでした。それでいつもわたしは腫れものになるのでした。
それから数日経って、その家のおばあちゃんが電話をかけてきてくれました。おばあちゃんは、大きな声で叫ぶようでしたので、わたしも叫びながら話しました。
思い出したの。あなたが言っているの、ちっちゃい女の人でしょ。こんなこんなで白い。そういえばあったよ。よく憶えていたね。あんなちっちゃいの。ねえ!
あれどうしました?
落として割れてしまったのかも。
ああ!
話はこれで終わりです。
電話を切って、それから南瓜を煮ました。
食後に梨と葡萄を食べながら思いました。
わたしはあれが好きでした。あれが欲しかったです。そのことに気づきました。
それから、あれをもう持っていて、ずっと持ち続けていて、これからも持っていることに気づきました。それは確かに在ったし、これからも在るのでした。